ちょっとむかしの電車のアルバム(南海電気鉄道)

南海電気鉄道

2005.3.23掲載
2010.6.12更新

 南海電鉄は、大阪府南部と和歌山県北部に150km強の路線を有する大手私鉄で、難波から和歌山市に至る南海本線およびその支線、並びに汐見橋から極楽橋に至る高野線から成ります。以前は軌道線(路面電車)を有していましたが、現在は別会社に譲渡されています。

 南海本線は、都市間および大阪圏域の通勤輸送、四国・淡路島への連絡の役割を主に担っていましたが、現在は四国等連絡ルートの性格は薄れ、平成6年に開業した関西空港への輸送が新たに加わっています。車両もそのような状況を反映したものになっています。異色の存在として、優等列車の国鉄紀勢線への乗り入もありましたが、昭和60年に終了しています。

 一方、高野線は高野山へのルートと大阪圏域の通勤輸送の役割を担っていますが、現在は、橋本を境に運転が分かれ、両区間を跨ぐのは特急以外は、ごくわずかになっています。また、高野線の堺東方面から大阪に向う列車は、岸里玉出から南海本線で難波へ乗り入れ、岸里玉出〜汐見橋は独立した支線のようになっています。車両は、特急用とそれ以外に分かれ、更にそれぞれ20m車と17m車があり、橋本以南は17m車のみの入線です。

 従来、南海本線と高野線の車両は別々に運用されていましたが、両線共通仕様の新1000が登場し、また高野線の難波〜極楽橋の直通運転の削減で、同線の2000系の一部が南海本線で利用されるようになるなど、変化が見られます。

 両線とも路線改良が進み、高野線では通勤圏の拡大と併せて三日市町〜橋本の路線が改良(S50年以降 複線化、曲線・勾配緩和)され、現在は一段落しています。一方、南海本線では、大阪市内の連続高架化が終了し、現在、堺市内の高架化が更に進もうとしています。

 現存する私鉄として、最も歴史のある鉄道であり、歴史を感じさせる施設なども多くありましたが施設改良が進み、また貴志川線、天王寺支線、和歌山港線の一部など、ローカル路線の廃止や営業譲渡もあるなど、徐々に姿を変えています。

<歴史>(昭和50年以降)

    昭和55年6月 南海本線玉出−大和川北岸間高架化
    11月 難波駅改良工事完成
    11月 平野線廃止
    12月 上町線・阪堺線を阪堺電気軌道に譲渡
    昭和59年11月 天王寺支線(天下茶屋−今池町間)廃止
    昭和60年3月 南海本線大和川−石津川間高架化
    3月 国鉄紀勢本線への直通列車「きのくに」廃止
    平成 5年4月 天王寺支線(今池町−天王寺間)廃止
    平成 6年6月 空港線開業
    平成 7年8月 高野線河内長野−橋本間の複線化が完成
    11月 南海本線大阪市内高架化全面完成
    平成14年5月 和歌山港線(和歌山港−水軒間)廃止
    平成18年4月 貴志川線を和歌山電鐵に譲渡
<ちょっと昔から現在までの車両>

 昭和50年以降に在籍した車両を紹介します。写真欄の番号は、次の「写真」項の番号に対応します。番号をクリックすると拡大写真を見られます。

 形 式写 真概 要


30000系(38)高野線特急「こうや」の3代目で、20000系の代替として1983年に登場
10000系(42)南海本線の難波〜和歌山市(和歌山港)間の特急の運転体制見直しで1985年に登場
11000系(31)高野線特急「りんかん」専用車として1992年に登場、20m車
50000系(40)関西空港開港に伴い運転開始した空港アクセス特急「ラピート」用として1994年に登場
31000系(33)高野線特急「こうや」の冬季運休の解消と「りんかん」8連化のため1999年に登場


6000系(10),(30)南海初の20m・4扉の高性能車、オールステンレス車体で高野線用に1962年登場
7000系(3),(28),(41)高野線6000系の南海本線版の鋼製車、1963年に登場
22000系
→2200系
(14)22000系は高野線の平坦・山岳の両区間の走行性能を併せ持ったズームカーとして1969年登場
その後改造により2200系に形式変更となり支線で運用中
6100系
→6300系
(11),(27),(36)6100系は6000系をを基本に両開扉・一段下降窓等を採用した高野線用車両、1970年に登場
台車交換により6300系に形式変更
7100系(2),(43)7000系を基本に両開扉・一段下降窓等を採用した南海本線用車両、1973年に登場
6200系(12),(35)コスト削減を考慮した高野線用車として1974年に登場
8200系(37)南海初の界磁チョッパ車で高野線用として1982年に登場
9000系(20)高野線8200系の南海本線版、南海本線初のステンレス車として1985年に登場
2000系(29),(34)高野線橋本以南に乗入れ可能な17m車のズームカー、21000・22000系の後継系列で1990年に登場
1000系(39)9000系の後継系列で初の南海線・高野線共通仕様車として1992年に登場
2300系 2000系をベースにワンマン運転の機能を付加した高野線車両として2005年に登場
8000系(32)1000系を基本にJR等で導入されている標準車両の要素を取り入れ2007年に登場



キハ5001形(9)国鉄紀勢線乗り入れのための気動車、1985年乗り入れ終了に伴い形式消滅
21201系 21000系同様の車体を持つ旧性能車、貴志川線で運用され1986年形式消滅
1201系(26)南海線・高野線の昇圧(1973年)後は貴志川線で1995年まで運用された旧性能車
1521系(21)支線で使用された旧性能車、1995年形式消滅
1000系(1),(4),(24)南海初の高性能車11001系の昇圧対応により登場、主に南海本線の特急に用いられ1987年形式消滅
20000系(15),(18)高野線特急「こうや」の2代目で「デラックス・ズームカー」の愛称を持つ、1985年形式消滅
21000系(13)高野線ズームカー、南海線11001系2次車の17m版の外観を持つ、1997年形式消滅

<写真>(クリックすると拡大します)
 

(1) 1000系 新今宮
S51.3
(2) 7100系 新今宮
S51.3
(3) 7000系 新今宮
S52.3
(4) 1000系 新今宮
S52.3
(9) キハ5501形 新今宮
S52.3
(10) 6000系 新今宮
S52.3
(11) 6100系 新今宮
S52.3
(12) 6200系 新今宮
S52.3
(13) 21000系 新今宮
S52.3
(14) 22000系 新今宮
S52.3
(15) 20000系 新今宮
S52.3
(16) 極楽橋〜高野山
S52.8
(17) 21000・20000系 極楽橋
S52.8
(18) 20000系 林間田園都市
S57.4
(19) 30000系 極楽橋
S58.夏
(20) 9000系 羽衣
S60.春
(21) 1521系 高師浜
S60.春
(22) 1000・10000・9000系 
住之江検車区 S60.12
(23) 1000・10000系 
住之江検車区 S60.12
(24) 1000系 
住之江検車区 S60.12
(25) 1000系車内
S60.12
(26) 1201系 貴志
S61.5
(27) 6100系 新今宮
H3.春
(28) 7000系 貝塚
H3.春
(29) 2000系 新今宮
H22.5
(30) 6000系 新今宮
H22.5
(31) 11000系 新今宮
H22.5
(32) 8000系 天下茶屋
H22.5
(33) 31000系 住吉東
H22.5
(34) 2000系 住吉東
H22.5
(35) 6200系 住吉東
H22.5
(36) 6300系 堺東
H22.5
(37) 8200系 堺東
H22.5
(38) 30000系 堺東
H22.5
(39) 1000系 浜寺公園
H22.5
(40) 50000系 浜寺公園
H22.5
(41) 7000系 浜寺公園
H22.5
(42) 10000系 浜寺公園
H22.5
(43) 7100系 諏訪ノ森
H22.5

<思い出など>
 
 中学前半は大阪北部、その後は基本的に京都に住んでいるため、南海電鉄は関西大手私鉄の中では最も乗る機会が少なかった鉄道です。それだけに乗車したことをよく覚えています。

 初めての乗車は、中学1年のときで、友人と野上電鉄などの写真を撮りに行く時で、新今宮から三国ケ丘と和歌山市から住吉大社までを乗りました。このとき既に昇圧され、本線・高野線には旧性能車は走っていませんでした。写真は上の(1)〜(2)で、あこがれの1000系や20000系を見ることができました。
 次の訪問はその1年後で、撮影を目的に新今宮に行きました(写真(3)〜(15))。あいにくの雨で、同じような写真ですが、本線・高野線で活躍中のほぼ全ての形式を撮りました。また、同じ年の中3の夏休み、家族で高野山の宿坊に泊まり、帰りに臨時「こうや」(21000系)に乗車しています(写真(16)〜(17))。

 大学以降は新車の試乗や、支線の乗り潰しなどで年1回程度訪問し、昭和60年に登場した10000系の見学会や、貴志川線、和歌山港線の水軒までの乗車などが印象に残っています(写真(18)〜(28))。

 20〜30年ほど前の南海の車両というと、南海線の1000系や高野線の20000系「こうや」、それぞれの後継車の10000サザンや30000系新「こうや」といった名車を思い出します。またこの頃の普通系は、南海線が緑・高野線ステンレス車が無塗装で、落ち着いたスタイルによく似合い、シートも深々として座り心地が非常によく、車両については全体的に高級で品の良い印象を持っていました。

 関西空港の開業に伴う空港線開通の頃から、公私とも忙しくなり、出張などで数年に1回程度しか乗らないようになりました。緑の電車も色が変わり、新たな形式が加わるなど大分様子が変わったように思いました。
 平成22年に久し振りに訪問し、再びほぼ全形式の写真を撮ることが出来ましたが、7000系や6000系といった50年近く昔の車両がいまだ優等列車で活躍中だったのが意外であり、嬉しく思えました(写真(29)〜(43))。

 在阪私鉄の中で最も大阪っぽい鉄道のイメージを持っていた南海ですが、高架区間の新たな駅を見ると、東京の鉄道のようであり、大分様子が変わったように感じます。ただ、浜寺公園の駅や高架区間も駅を外に出ると、私が持っていたイメージが残っており、これもまた嬉しく思います。

<訪問時の状況>(撮影旅行のページへ)

 昭和51年3月  昭和52年3月  昭和52年8月  昭和57年4月  昭和58年夏  昭和60年春

 昭和60年12月  昭和61年5月  平成3年春  平成22年5月

(乗車時の切符を持っているかもしれません。見つかれば掲載します。)

<リンク>
 
 南海電気鉄道<公式サイト>

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