ちょっとむかしの電車のアルバム
H17.3.15掲載
H24.3.11、11.11更新
 昭和51年3月14日

 この頃の私は中学生にしては好みが渋く、ローカル私鉄や路面電車が興味の中心でした。
 そこで、野上電鉄や水間鉄道、南海の阪堺線、それと在阪大手私鉄の中で最も馴染みが無かった南海電車を撮影するため、いつもの友人と出かけました。
 今は日本中どこへ行っても写真で見た車両ばかりで、現地に行くことは、知っている車両の実物の確認に行くようなものです。しかしこの頃は情報が乏しく、また自分の情報収集力も十分でなかったため、どこにどの様な車両が走っているのかもよく分からない状態でした。それだけに行く先々で見る車両は、どれも新鮮に写り刺激的でした。

 大阪−新今宮−三国ケ丘−和歌山−海南−和歌山−和歌山市−住吉公園・住吉−恵美須町

 南海電車といえば、やはり湘南タイプのこの1000系です。この電車はパルナスのコマーシャルで見ていましたが、重厚な外観と転換クロスシートが魅力的で、乗ってみたいと思う電車でした。主に特急に使われていたようです。

(新今宮)

 一方、急行以下にはロングシートの車両が使われていました。この7100系は側面が1段下降窓の綺麗な形で、落ち着いた色が似合っている素敵な車両でした。

(新今宮)
 

 新今宮で撮影中に35mmのフルオートカメラが使えなくなりました。(電池切れと後日分かりましたが・・)
 ここからは、たまたま持っていたポケットカメラで撮った写真です。写真屋ではスキャンしてもらえず、手持ちのスキャナーでも付属のホルダーではスキャンできませんでしたが、手作りホルダーで何とか電子化しました。
 元画像が良くないのですが、懐かしい写真ですので掲載しました。(H24.3.11、11.11追加)

 登場後間もない6200系です。

(新今宮)
 
 新今宮から、高野線で三国ケ丘に向いました。途中、堺東で降りて撮った写真です。

(堺東)
 
 堺東で降りたのは、「こうや」の写真を撮るためでした。
 ただ目的の「こうや」は、走ってくるものを1発勝負で撮らねばならないというプレッシャーで、ご覧のとおりの写真になってしまいました。

(堺東)
 
 三国ケ丘で阪和線に乗り換え、和歌山に向いました。
 当時、阪和線は片町線と同様、旧性能車が活躍していました。

(和歌山)
 
 和歌山でのお目当ての1つは、貴志川線でした。

(和歌山)
 
 和歌山には結構長い時間いました。
 この間、写真を撮っていたら、機関士が機関車の運転台に入れてくれ、写真まで撮ってくれました。(今なら考えられませんが、既に時効でしょう)
 また、キハ81も見ましたが、残念ながら写真はありません(うまく撮れませんでした)。

(和歌山)
 
 和歌山から、更に海南まで行きました。  海南に着くと、国鉄の駅のすぐ横に野上電鉄の車両が見えましたが、大周りして野上電鉄の日方駅に行きました。
 駅に付き、駅員にお願いして、駅横の車庫に入れてもらいました。
 日方駅ホームから登山口側を撮ったものですが、線路右側一番奥の車両の左に見えている庇は、連絡口(駅)です。

(日方)
 
 車庫側から、日方駅を見た様子です。

(日方)
 
 この頃、塗装の変更が進んでおり、新旧の塗装を見ることができました。こちらは旧塗装の車両です。

(日方)
 
 一方、こちらが新塗装の車両です。私的には旧塗装が好みでした。

(日方)
 
 富山地方鉄道から購入した車両です。改造前の姿です。

(新今宮)
 
 野上電鉄を撮った後、客連に乗って和歌山経由で和歌山市まで行き、南海に乗車しました。
 途中、水間鉄道の写真を撮るため貝塚で下車しました。

(貝塚)
 
 水間鉄道を撮った後、住吉に行き、(当時南海電鉄の)阪堺線に乗り換え、恵比須町まで行きました。
 今考えると、中学1年でよくもこれだけ欲張った撮影に行ったものです。

(恵美須町)
 
 最後に恵美須町で写真を撮って、堺筋線・阪急で家に戻りました。

(恵美須町)
 

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