ちょっとむかしの電車のアルバム
H18.2.18UP
 昭和60年3月3日

 大学生活もいよいよ終わりです。卒業してからは鉄道の写真を撮りに行けなくなるのではないかと思い(全くそのようなことにはなりませんでしたが・・)、東京に出かけました。決して大旅行ではなかったのですが、自分なりに堪能してきました。
 ここでは3日目(東京2日目)の写真を紹介します。

1日目 京都→岐阜(名鉄見学)高山線・太多線・中央線→松本−普通夜行
2日目 →新宿−(箱根登山鉄道・京急・京成・新京成乗車)→上野
3日目 上野−(東急・小田急・京王・京急など乗車)→新宿−普通夜行
4日目 →松本−大糸線・北陸線・湖西線→京都

 上野に泊まり、この日も朝から1日中、鉄道に乗り続けました。
 まずは、京王井の頭線に乗るべく中央線で吉祥寺に向かいました。
 途中、中野で写した営団5000形です。

(中野)
 
 井の頭線・京王線に乗って下高井戸に行き、東急世田谷線を訪問しました。
 写真の70形は、この数年前までに全車更新され80形に似たスタイルになっていました。

(下高井戸)
 
 世田谷線で三軒茶屋に行き、新玉川線・田園都市線に乗りました。同線は8500系のみで車両の方は面白みに欠けましたが、ニュータウン線が好きで車窓を楽しみました。

(長津田)
 
 田園都市線では途中、こどもの国線にも立ち寄りました。
 こどもの国線は普段、7200系唯一のアルミ車の運用だったのですが、このときは検査にでも入っていたのか、ステンレス車により運行されていました。

(長津田)
 
 田園都市線は終点(中央林間)まで乗り、次に小田急を訪問しました。
 写真は20mの4扉車の2600系です。同系列は既に全廃になり、消滅前には登場時の紺とオレンジの塗装がなされましたが、私はこのアイボリーにブルーの帯が入った塗装が好みでした。

(新百合ヶ丘)
 
 小田急9000系です。
 きれいな外観ですが、車内は国鉄103系のように通勤車然としたつくりでした。

(新百合ヶ丘)
 
 小田急2400系です。
 M車は粘着性能を確保するため19m車、その分T車(Tc)を軽量化するため16m車とした変った車両です。

(新百合ヶ丘)
 
 再び京王線に乗りました。
 写真は登場間もない7000系です。


 
 当時京王線の主役だった6000系です。
 車体横にコアラのステッカーが貼られています。今は大手私鉄の車両でもよく見うけますが、この頃は珍しい光景でした。


 
 京王に乗った後、どのようなルートを辿ったか、記憶がありませんが、ネガを見ると東北新幹線のリレー号の写真がありました。
 この写真を撮ってすぐ後に新幹線は上野まで延長され、リレー号は廃止になっています。


 
 最後に再び京急を見に行きました。
 当時の一大勢力1000系です。


 
 京急に乗り入れている都営地下鉄5000系です。
 このとき既に車体更新され、併せて塗装変更が行われた車両も走っていましたが、これはオリジナルの塗装です。


 
 東京の鉄道を堪能し、中央線夜行・大糸線・北陸線で家に戻りました。

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