平成6年3月27日
厳しい状況にあるといわれながら、何とか存続してきた野上電鉄でしたが、この年の3月末についに廃止になってしまうことになりました。
廃止前の最後の日曜日、野上電鉄と、同様に廃止が近そうな有田鉄道に乗りに行きました。
この年の秋から運転を開始した「はるか」281系です。この日天王寺で完成披露されていました。
これを横目で見ながら、野上電鉄の最寄り駅の海南に向いました。
(天王寺)
野上電鉄には、JRの海南から乗り換えのための連絡口(駅)がありましたが、一旦JRの改札を出て回り道をして、始発駅の日方駅に向かいました。
日方駅前には廃止の看板が出ており、名残を惜しむ人も多く見かけました。
(日方)
元富山地方鉄道の10形です。車長が12mと小振りで、閑散時に使われていたようです。この日は乗客が多かったためか、車庫で休んでいました。
(日方)
真ん中の2連は日方へ到着する列車で、廻りは車庫で休む車両です。
(日方)
最大勢力を誇った20形です。バリエーションに富んだ形式でした。
(日方)
日方駅の車庫には、多くの車両が見られました。
(日方)
元阪神の30形です。側窓上の明かり窓が特徴です。
野上電鉄廃止後に阪神に戻り、保存されています。
(日方)
このモハ30形2連に乗り、登山口に向いました。
(日方)
終点の登山口までやってきました。
奥に写っているのは、廃車同然に留置されていたクハ100形です。
(登山口)
乗車してきた30形が日方に向って出発して行きました。写真を撮っている人がたくさんいます。
(登山口)
登山口から、写真を撮るため日方に向って歩いたように思います。2km程度歩いたところですが、たまたま電車がやってきたのか、感じが良かったからかこの場所で数枚写真を撮りました。
(竜光寺前−動木)
トンネルのように見えますが、跨線橋(道路)です。
(竜光寺前−動木)
この日見た列車は、全て2連で走っていたようです。
(竜光寺前−動木)
野上電鉄のあとは、JRで藤並に向い、有田鉄道に乗りました。
元富士急行キハ58000です。
(藤並)
有田鉄道もこの頃すでに廃止が近いような状況になっており、この翌年には日曜日は全列車運休になりました。
(金屋口)
乗ってきた列車で折り返しました。ミカン畑の中を走る路線でした。
(金屋口)
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