ちょっとむかしの電車のアルバム
H22.1.10UP
 平成3年6月26日〜30日

 所用で木・金曜日と東京に行くことになりました。そこで、千葉在住の友人と連絡を取り、土・日に会い、東京周辺の鉄道を巡ることとしました。

6/26 京都−(ドリーム号)−
6/27 −東京(泊)
6/28 東京(泊)
6/29 品川−久里浜−久里浜港−金谷−(観光)−館山(泊)
6/30 館山−新津田沼−北初富−千葉ニュータウン中央−青砥−京成金町・金町−北千住−浅草−上野−成田空港−東京−(ひかり)−京都

 京都からドリーム号で東京にやって来ました。出発前に職場の宴会があり、結構お酒を飲んでいたため、バス乗車後すぐ眠り、目が覚めたら東京という快適な(?)移動でした。
 東京駅に着き、早速ホームに上がり写真を撮りました。

(東京)
 
 113系に組み込まれていた2階建てグリーン車(サロ124)です。
 この日の写真はこれで終わりで、翌日まで非鉄でした。

(東京)
 
 東京の3日目です。この日は、内房線の館山の友人を訪ねました。
 久里浜から内房線金谷まで東京湾を横断するフェリーのコースをとり、まずは京急に乗車しました。

(品川?)
 
 快速特急で運用されていた2000形です。
 関東では珍しい特別料金不要のクロスシート車ですが、現在は3扉・ロングシート化されています。

(品川?)
 
 京急久里浜到着後、バスで久里浜港に行き、フェリーで房総半島の金谷に渡りました。40分ほどの乗船でしたが、天気も良く快適で京急以上に記憶に残っています。
 友人が車で金谷まで迎えに来てくれ、鋸山や野島崎など房総の観光地を案内してくれました。

(京急久里浜)
 
 房総半島観光後、館山に1泊し、翌日は東京近郊の鉄道に乗るべく、友人と共に内房線で千葉に向かいました。

(千葉?)
 
 総武線の新津田沼で新京成に乗り継ぎ、北初富まで乗車しました。
 当時は北初富で新京成と北総開発鉄道が相互直通を行っていました。

(北初富?)
 
 北総開発鉄道です。この年、同線の京成高砂−新鎌ヶ谷間が開業しました。
 この車両はこのは2000形を名乗ってましたが、その後9000形に変更されています。

(千葉ニュータウン中央?)
 
 同線はこの後、2回の延伸を行い、更にこの春、成田高速鉄道との直通運転が開始され、スカイライナーも走る予定です。

(千葉ニュータウン中央?)
 
 北総開発鉄道−京成電鉄−都営地下鉄−京浜急行と4社も股にかけ運行される列車は、関西では見られないものです。

(千葉ニュータウン中央?)
 
 北総開発鉄道の新線経由で、京成線に入りました。
 たまたまか、予め調べて狙ったのかは覚えていませんが、この年、成田空港への乗り入れを機に登場したAE100形です。
 この後、東武鉄道に乗りに行った後、上野から成田空港まで乗車しました。

(青砥)
 
 金町線で京成金町に至りました。

(京成金町)
 
 金町から常磐線で北千住に行き、東武鉄道に乗り換え、写真を撮りました。

(北千住)
 
 日比谷線経由で北千住にやってきた東急1000系です。

(北千住)
 
 日比谷線に乗り入れる東武鉄道20000系です。

(北千住)
 
 北千住から浅草に向いました。途中は意外に小さな駅が多くローカルっぽい感じでした。

(浅草)
 
 東武もステンレス車が導入されていましたが、700両以上も造られた8000系は活躍中でした。この鋼製車が東武っぽいですね。

(浅草)
 
 東武6050系と全く同じですが、野岩鉄道所有の車両です。
 会津鉄道の会津田島までの200km近くのロングランの列車です。

(浅草)
 
 東武の看板列車DRC1720系です。このとき登場後30年を過ぎており、後継の100系「スペーシア」が営業運転を開始していましたが、存在感のある車両でした。
 1720系はこの年に全車引退し、よいタイミングで写真を撮れました。

(浅草)
 
 1720系の車内です。

(浅草)
 
 浅草で写真を撮った後、上野に向かい、京成のAE100形で成田空港まで乗車しました。
 写真は京成AE100形と同じく(新)成田空港駅開業と同時に登場し運行を開始した253系です。
 成田空港で友人と別れ、JRで東京に向い、更に新幹線で京都に戻りました。

(成田空港)
 

top page
inserted by FC2 system