平成3年6月21日〜23日
熊本の祖父を訪ね、その後博多周辺を廻りました。
往時は初めて東京発のブルトレに乗車しました。まだ食堂車が営業している時代で、そこで朝食を取ったのがよい思い出です。
祖父に会った後、博多に行き、西鉄や民営化4年を経過して独自色が出てきたJR九州の写真を撮りました。
6/21 | | 京都−(はやぶさ)− |
6/22 | | −熊本−博多(泊) |
6/23 | | 博多−天神−(宮の陣)−甘木−基山−博多−(直方経由)−折尾−砂津・小倉−(ひかり)−京都 |
福岡市交です。博多から天神まで乗車しました。
現在空港線と呼ばれているこの路線は、このとき空港までは未開業で、博多が終点でした。
(博多)
JRから福岡市交に乗り入れている103系です。正面のJNRマークが無くなった他は、登場時と変わり無いように思えました。
(天神)
天神からは西鉄に乗りました。
まずは二日市で下車し、ここで何枚か写真を撮りました。二日市は、太宰府線の乗り換え駅で、退避施設もある大きな駅です。
(二日市)
元特急の2000系です。
3扉化されていますが転換クロスシートは残り、塗装も特急時代のままです。
(二日市)
8000系特急です。
阪急、京阪の特急に引けを取らないすばらしい車両と思います。
(二日市)
昭和50年に登場し、この時も製造が続いていた5000系です。今も西鉄の最大勢力を誇っています。
(小郡?)
元特急の1000系です。
こちらはロングシート化され、塗装も変わっており、特急時代の面影はあまり残っていません。
(小郡?)
宮の陣から甘木線で甘木に向かいました。
(宮の陣?)
西鉄で甘木に到着した後、甘木鉄道に乗車しました。
国鉄時代1日10往復もなかったのですが、第3セクターになり大増発された路線です。
(?)
甘木鉄道で基山に着き、JRで博多に向かいました。
(基山)
博多で何枚か写真を撮りました。
JR九州初の近郊型電車の811系です。この後登場する813系や815系に比べるとおとなしいデザインです。
(博多)
ハイパーサルーンと言われた783系です。JR九州初の新造車両です。
(博多)
783系は車両中央に扉がある珍しい車両ですが、その後広まらなかったところをみると、使い勝手は良くなかったのかもしれません。
(博多)
キハ66です。普通系でありながら転換クロスシートで登場時は驚いたものです。
(博多)
登場したばかりのキハ200系です。篠栗線で快速に用いられ、車体色に因んで「赤い快速」と言われてました。
(博多)
485系です。この車両もいろいろな塗り分けがありますが、オリジナル以外で最も好きな塗装です。
(博多)
415系1500番台です。
(博多)
博多から篠栗線に乗り筑豊線に出ました。
この写真はどこで撮ったか忘れましたが、かなり大きな駅ですので直方あたりでしょうか。
この気動車を降り、レッドトレインと言われていた50系客車に乗り換え、鹿児島線との交差点の折尾に出ました。
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折尾で何枚か写しました。
(折尾)
(折尾)
折尾からは西鉄の路面電車に乗り、終点の砂津に向かいました。
(砂津)
北九州線は翌年の10月に砂津―黒崎駅前が廃止され、残った区間も(筑豊電鉄乗り入れ区間0.6kmを除き)平成12年に廃止になってしまいます。
(砂津)
この後、砂津から小倉に戻り、新幹線で帰途に着きました。
(砂津)
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