ちょっとむかしの電車のアルバム
H21.12.12UP
 平成3年6月21日〜23日

 熊本の祖父を訪ね、その後博多周辺を廻りました。
 往時は初めて東京発のブルトレに乗車しました。まだ食堂車が営業している時代で、そこで朝食を取ったのがよい思い出です。
 祖父に会った後、博多に行き、西鉄や民営化4年を経過して独自色が出てきたJR九州の写真を撮りました。

6/21 京都−(はやぶさ)−
6/22 −熊本−博多(泊)
6/23 博多−天神−(宮の陣)−甘木−基山−博多−(直方経由)−折尾−砂津・小倉−(ひかり)−京都

 福岡市交です。博多から天神まで乗車しました。
 現在空港線と呼ばれているこの路線は、このとき空港までは未開業で、博多が終点でした。

(博多)
 
 JRから福岡市交に乗り入れている103系です。正面のJNRマークが無くなった他は、登場時と変わり無いように思えました。

(天神)
 
 天神からは西鉄に乗りました。
 まずは二日市で下車し、ここで何枚か写真を撮りました。二日市は、太宰府線の乗り換え駅で、退避施設もある大きな駅です。

(二日市)
 
 元特急の2000系です。
 3扉化されていますが転換クロスシートは残り、塗装も特急時代のままです。

(二日市)
 
 8000系特急です。
 阪急、京阪の特急に引けを取らないすばらしい車両と思います。

(二日市)
 
 昭和50年に登場し、この時も製造が続いていた5000系です。今も西鉄の最大勢力を誇っています。

(小郡?)
 
 元特急の1000系です。
 こちらはロングシート化され、塗装も変わっており、特急時代の面影はあまり残っていません。

(小郡?)
 
 宮の陣から甘木線で甘木に向かいました。

(宮の陣?)
 
 西鉄で甘木に到着した後、甘木鉄道に乗車しました。
 国鉄時代1日10往復もなかったのですが、第3セクターになり大増発された路線です。

(?)
 
 甘木鉄道で基山に着き、JRで博多に向かいました。

(基山)
 
 博多で何枚か写真を撮りました。
 JR九州初の近郊型電車の811系です。この後登場する813系や815系に比べるとおとなしいデザインです。

(博多)
 
 ハイパーサルーンと言われた783系です。JR九州初の新造車両です。

(博多)
 
 783系は車両中央に扉がある珍しい車両ですが、その後広まらなかったところをみると、使い勝手は良くなかったのかもしれません。

(博多)
 
 キハ66です。普通系でありながら転換クロスシートで登場時は驚いたものです。

(博多)
 
 登場したばかりのキハ200系です。篠栗線で快速に用いられ、車体色に因んで「赤い快速」と言われてました。

(博多)
 
 485系です。この車両もいろいろな塗り分けがありますが、オリジナル以外で最も好きな塗装です。

(博多)
 
 415系1500番台です。

(博多)
 
 博多から篠栗線に乗り筑豊線に出ました。
 この写真はどこで撮ったか忘れましたが、かなり大きな駅ですので直方あたりでしょうか。
 この気動車を降り、レッドトレインと言われていた50系客車に乗り換え、鹿児島線との交差点の折尾に出ました。

(?)
 
 折尾で何枚か写しました。

(折尾)
 

(折尾)
 
 折尾からは西鉄の路面電車に乗り、終点の砂津に向かいました。

(砂津)
 
 北九州線は翌年の10月に砂津―黒崎駅前が廃止され、残った区間も(筑豊電鉄乗り入れ区間0.6kmを除き)平成12年に廃止になってしまいます。

(砂津)
 
 この後、砂津から小倉に戻り、新幹線で帰途に着きました。

(砂津)
 

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