ちょっとむかしの電車のアルバム
H21.9.9UP
 平成21年8月22日(木)

 念願のデジタル一眼レフを購入しました。早速使ってみようと、青春18きっぷで高松琴平電鉄の写真を撮りに行きました。
 駅やその周辺での撮影が主でしたが、走行写真の写し易さは、さすが一眼レフと感じました。
 約15年ぶりの琴電訪問でしたが、車両はすっかり入れ替わり、様子は大きく変わっていました。

 京都549−(サハ223-2092)−755姫路800−(クハ115-1107)−927岡山932−(223系)−954児島1000−(モハ114-329)−1038琴平・琴電琴平1042−(1087)−1125仏生山1140−(1207)−1151瓦町1232−(630)−1243潟元1247−(623)−1257今橋・瓦町1324−(602)−1326片原町1346−(1301)−1348高松築港・高松1410−(223系)−1502岡山1514−(クハ111-5757)−1620相生1621−(モハ223-2029)−1814京都

 岡山から乗車した223系の5000番台です。
 乗務員室との仕切りがガラス張りで、普段乗車しているものに比べ明るい車内でした。

(児島)
 
 児島で琴平行きの115系に乗車しました。
 行き先表示はLEDになってしまっていますが、前面窓ガラスが金属押さえでないため、オリジナルに近く感じます。

(児島)
 
 JR琴平から琴電琴平へ歩き、琴電に乗車し、車庫のある仏生山まで乗車しました。

(仏生山)
 
 仏生山で降りたのは、イベント車両と呼ばれる吊掛けの車両を見れるのではないかという期待からでしたが、ホームからは姿が見えませんでした。
 このあと、瓦町に向かう電車の中から、目的の車両を発見しましたが、戻る時間は無く、残念ながら写すことはできませんでした。

(仏生山)
 
 広告車両も結構見かけました。

(仏生山)
 
 現在、琴電で最大勢力を誇る1200形です。京急時代の様子をよく残していると思います。

(仏生山)
 
 仏生山から瓦町に向かいました。約15年ぶりに訪れた瓦町は、駅にフタをするようにビルが建っていました。
 このためホームでの撮影は無理で、駅周辺をうろつき何枚か写真を撮りました。
 これは志度線です。志度線は他の路線から切り離され、ムービングウォークを介してつながるほど、離れていました。
 写っているのは元名古屋市交の車両です。

(瓦町)
 
 こちらは長尾線オリジナル塗装の元名古屋市交の車両です。
 元京急車両に比べ車体幅が狭いことから、出入口にはステップが取り付けられています。

(瓦町)
 
 元京急1000系の1080形です。この日、琴平線では、1070形(元京急600系)と1100形(元京王の5000系)は走っている姿を見かけませんでした。
 いずれも琴電琴平駅に留置されており、まずまずのアングルで写真を撮れるようになっていたのですが、残念ながら乗換時間の関係で写せませんでした。

(瓦町)
 
 志度線に乗車し、潟元まで向かいました。これはそこから折り返し乗車した電車です。

(潟元)
 
 潟元から瓦町に戻る途中の交換駅で撮ったものです。琴電はやはりこの色が似合います。
 この駅の一駅瓦町側の「今橋」で下車し、志度線の車庫で写真を撮りました。
 そこから瓦町まで歩いて向かい、途中名物のうどんを食べました。

(松島二丁目)
 
 瓦町から高松築港行きに乗り、隣の片原町で降りてホームで写真を何枚か撮りました。
 琴平線と長尾線の両方の列車が通るため密度が高く、安易に写真を撮るには良い場所と思います。

(片原町)
 
 望遠レンズも使って写真を撮りました。向こうに見えているビルの下が瓦町駅です。

(片原町)
 
 高松築港です。ここは昔とあまり雰囲気は変わらないように思いました。

(高松築港)
 
 一方、JR高松駅は大きく変わり、モダンな建物になっていました。

(高松駅)
 
 JR四国の車両を見るのも久しぶりで、何枚か写しました。

(高松)
 
 左は8000系ですが、右の121系と並ぶと屋根の低さが際立ちます。

(高松)
 
 8000系の松山寄りです。やはりこの方がかっこ良いですね。

(高松)
 
 このマリンライナーに乗車して帰りました(もちろんグリーン車には乗っていません)。

(高松)
 

top page
inserted by FC2 system