昭和62年8月13日〜16日
夏休みに青春18きっぷを手に、友人と東北へ出かけました。東北地方に行くのは初めてで、できるだけ多くの路線を訪問すべく、朝早くから日暮れ以降まで、精力的に乗りました。記録が見当たらないのであいまいですが、次のようなコースを辿ったように思います。
8/13 京都−米原−大垣−(車中泊)
8/14 −東京−上野−仙台−石巻−女川−前谷地−気仙沼−一ノ関−仙台(泊)
8/15 仙台−山形−山寺−山形−(蔵王)−山形−福島−郡山(泊)
8/16 郡山−会津若松−新津−直江津−金沢?−米原−京都
大垣発の夜行で東京に着き、山手線の1番電車に乗り換え上野に行き、常磐線で仙台に向かいました。
これは、常磐線の途中駅で撮った写真です。
同じく常磐線の途中駅で撮った写真です。
当時、常磐線沿線には、日立電鉄や茨城交通、鹿島鉄道など多くの魅力的な私鉄があったのにそれらに目をくれることも無く、ひたすら仙台を目指したのが悔やまれます。
仙台に着き、友人とは宿で再び会う約束をして、別々の行動となりました。私はひたすら乗るべく、まずは仙石線に向かいました。
写真は仙石線の仙台駅です。現在は地下に移っています。
(仙台)
同じく仙石線です。以前は写真を撮ることがなかった103系ですが、民営化によりカラフルな電車が増えたことからこのように写しています。
終点の石巻まで行き、石巻線に乗り換えましたが、この当時は仙石線と石巻線の駅舎は別になっており、乗り換えには一旦改札を出る必要がありました。
石巻からは、石巻線終点の女川まで乗車しました。海沿いを走るのどかな路線でした。
(女川)
女川から折り返して前谷地まで行き、気仙沼線に乗車しました。
同線は国鉄線として開通した最終グループです。宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」本で読んだ開業日の様子を思い描きながら乗りました。
気仙沼まで行ったところで、日が傾いてしまいました。
その後は大船渡線で一ノ関に出て仙台に至り、この日は終了しました。
(気仙沼)
仙台では、地下鉄沿線のホテルに泊まりました。
仙台の地下鉄はこの1ヶ月前の7月15日の開業で、新線の乗り心地を楽しみました。
これは翌朝、撮った写真です。
再び仙台駅から青春18きっぷの旅の開始です。
こちらは仙台駅で写した417系です。車体にはJRマークが入っていますが、それ以外は国鉄時代のままの交流・直流両用近郊形電車の標準色です。
(仙台)
まずは交流電化発祥の仙山線に乗りました。
特に何かある訳でもなかったと思いますが、途中の愛子で一旦下車しました。
(愛子)
愛子から山形まで乗り通し、再び仙山線の山寺まで戻りました。
(山形)
仙山線で山寺へ戻ってから立石寺に行きました。非常に暑いなか、汗をかきながら登りましたが、上から見る山寺駅周辺は、正に模型を見るような光景でした。
この後、再び山形に行き、バスで蔵王に向かいました。蔵王の下界の暑さを忘れさせてくれるような涼しさと、お釜の素晴らしさが印象に残っています。
2箇所の観光の後、奥羽線で郡山に行きました。日は暮れていましたが、板谷峠のスイッチバックを50系客連で楽しみました。
(山寺)
最終日は郡山に泊まりました。
ただ到着は夜遅く、翌朝は始発で出発したため、街をうろつくことも無く、何の印象も残っていません。
こちらは早朝の郡山で写した写真です。まだJNR(国鉄)のマークを付けた車両もいたようです。
磐越西線です。50系の客連が多く残っていたようです。
会津若松では、只見線に乗り入れて来る会津鉄道を見ることができました。同鉄道は約1ヶ月前の7月16日にJR会津線から転換されたばかりでした。
(会津若松)
12系や50系を横に見て出発する会津鉄道です。
(会津若松)
このとき既に「急行」は無く、急行型の車両はそのままローカルで運用されていました。特に快速には、それら車両が使われていたようです。
(会津若松)
新津に着きました。新潟色の115系です。
(新津)
新津からは信越線、北陸線を延々と乗り継いで米原まで行き、米原から新幹線で京都に戻りました。
(新津)
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