昭和61年8月14〜16日
それまで、山陽線以外は殆ど乗ったことが無かった中国地方の国鉄線に乗るべく、大学時代の友人と青春18きっぷで出かけました。
3日間効率よく未乗車区間を乗りまわった旅でした(つまりは、ほとんど乗りっぱなしの旅でした)。
8/14
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京都−(山陽線)−福山−(福塩線)−三次−(三江線)−江津−(山陰線)−米子(泊)
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8/15
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米子−(伯備線)−新見−(芸備線)−塩町−(芸備線)−備後落合−(木次線・山陰線)−出雲市・電鉄出雲市−(一畑電鉄)−出雲大社前・出雲大社−(大社線)−出雲市・電鉄出雲市−(一畑電鉄)−松江温泉(泊)
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8/15
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松江−(山陰線・境線)−境港−(境線)−米子−(山陰線)−京都
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友人との京都での待ち合わせの時刻に遅れてしまい、1人で出発しました。
途中、姫路で写した1枚です。
(姫路)
岡山で友人に追いつき、平謝りでしたが、写真はちゃっかり撮っています。
(岡山)
福山に至り、いよいよ未乗の福塩線に乗ります。福塩線では、新性能化時に投入されたオリジナルの105系が活躍していました。
(福山)
福塩線の電化は府中までで、105系はここで終わりです。
(府中)
府中から乗った気動車です。
(府中)
三次から三江線で江津へ向かいました。
山の中を走る平凡な線でしたが、高架の途中にホームがある宇都井が印象に残っています。
(三次?)
米子に泊まり、2日目は、まず伯備線で新見に行き、そこから芸備線を塩町まで乗りました。
これは芸備線のとある駅です。
塩町で下車し、再び芸備線で木次線との分岐駅の備後落合まで折り返しました。
これは、塩町での乗り換え待ちに写した1枚です。当時どこに行っても見られたキハ58ですが、今では貴重な写真です。
(塩町)
備後落合からは、木次線に乗ります。同線には旧塗装のキハ52がいると聞いていましたが、ラッキーなことにそれに乗ることができました。
(備後落合)
同じく備後落合です。山間の静かな駅ですが、3つの列車が顔を揃えたにぎやかな場面です。
(備後落合)
スイッチバックの駅、出雲坂根で急行と交換です。なつかしい汽車旅の雰囲気を味わいました。
(出雲坂根)
このキハ52がよほど気に入ったのか、更に1枚撮っています。
木次線乗車した後は出雲市まで行き、山陰地方唯一の私鉄、一畑電鉄の電鉄出雲市から出雲大社前まで乗車しました。
これは、途中川跡で大社線への乗り換え時に撮った写真です。元西武の釣り掛け車です。
(川跡)
上の写真の電車が、松江温泉に向け出て行くところです。
(川跡)
同じく川跡で写した、同線生え抜きのデハ3です。
おそらくこの電車にに乗り出雲大社前に行ったのだと思います。
この車両は、平成10年頃まで活躍し、その後は沿線の保育園で保存されているそうです。
(川跡)
出雲大社前に着く手前で、車中から絵になる場所を見つけ、そこで写真を撮りました。
この後、立派な駅舎の国鉄大社線の出雲大社から出雲市まで乗りました。
(出雲大社前付近)
国鉄で出雲市まで出た後、再び一畑電鉄に乗り松江温泉へ向かいました。
途中、宍道湖も見えるなど景色も良い路線だったように記憶しています。
(出雲市)
最終日の3日目です。
この日はまず、境線にに乗り、あとは山陰線の鈍行で京都まで戻る旅です。
米子で見掛けた「出雲」です。
(米子)
スカ色の115系も見かけました。
(米子)
米子からは、福知山まで雑客に乗ることができました。
このとき雑客も近く引退と言われており、最後の乗車になるだろうと思いながら堪能しました。
途中、5分、10分の停車は当たり前で、鳥取では40分程度の停車があり、下車して駅前に弁当を買いに行くこともできました。写真も撮り放題です。
駅に停まると、静寂が訪れ、乗客は車外に出て気分転換を図っていました。
すれ違う列車も客車は雑客だったように思います。ハユニを連結した車両も見かけましたが、その車両だけ異常に混んでいたのが印象的でした。
福知山までの客車の旅は飽きることのないものでした。福知山から京都までは気動車に乗りました。
(福知山?)
(福知山?)
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