ちょっとむかしの電車のアルバム
 昭和61年8月1日

 未乗の越美北線、南線に乗るべく青春18きっぷで出かけました。
 この日の目的は乗りつぶしでしたが、福井で乗り換えの時間に福井鉄道と京福の写真を撮っています。
 湖西線経由で福井に向かいましたが、同線のデッドセクションをまたいで運転される列車は極端に少なく、これまた本数の少ない越美北線、南線、また両線を結ぶバスを組み合わせる関係で、やむなく福井で待ち時間があったと覚えています。しかしこの時に福井鉄道と京福を写し、今となれば貴重な時間でした。
 この日は少し前に買ったペンタックスのフルオートのコンパクトカメラを持参しました。

 京都−(湖西線経由)−福井(福井鉄道と京福の写真撮影)−九頭竜湖−(バス)−美濃白鳥−北濃−美濃太田−岐阜−(東海道線経由)−京都

 敦賀で湖西線から乗ってきた気動車から福井に向かう電車に乗り換えたと思います。
 ここで見かけた赤地にクリーム帯のいわゆる「旧北陸色」です。581系から改造された419系もこの塗装でしたが、数年ほでホワイト地にブルー帯の塗装に変っています。

(敦賀)
 
 1985年の「くずりゅう」運転終了により、北陸線における昼行の急行は既に無くなっており、471系などは急行運用を外れていました。これによって塗色も上のように順次変っていましたが、急行塗装もまだ残っていました。

(福井)
 
 方向幕が埋められてしまっているのが残念です。
 この福井駅も2005に高架化され、様子が大きく変っています。

(福井)
 
 駅前に出て福井鉄道の写真を撮りました。
 こちらは、入線したての元静岡鉄道の300型です。車内はクロスシートに改造されましたが、外観はオリジナルの姿を保っています。
 アルミ車のように見えますが、銀色に塗装した鋼製車です。

(市役所前)
 
 300型はその後、クーラーを取り付けられ、塗装も大きく変りながらも「急行」運用で活躍していましたが、2006年に名鉄の車両が大量に導入された際に廃車になってしまいました。

(市役所前)
 
 もう1枚おまけです。

(市役所前)
 
 140型です。車内は転換クロスシートです。こちらも2006年に引退しました。(というか2006年まで頑張りました)

(市役所前)
 
 京福電鉄も何枚か写真を撮りました。
 こちらは日車標準型車体の251型です。単行で走行可能で、この逆の前面は貫通型です。

(福井)
 
 3001型です。元南海の11001形ですが、この3007は正面貫通形からの改造で、他の3001型と様子が異なります。

(福井)
 
 同じ3007です。

(福井)
 
 阪神の車体を流用した2101型です。同形式は釣り掛け式ですが、えちぜん鉄道駅に引き継がれています。

(福井)
 
 越美北線の気動車(キハ52)です。
 「越美北線の起点は福井南で、そこを通過するときに未乗区間に乗る際のゾクゾクを感じるべき」という宮脇俊三氏の著書を思い出しながらこの列車に乗り、岩がむき出しの涼しいトンネルを通り、終点の九頭竜湖に向かいました。
 終点の九頭竜湖からは、越美南線の美濃白鳥までバスで向かいました。越美北線と南線が結ばれていたらどこを通っていたのかと思いを馳せ、ロックフィルのダムを眺めながらのバス旅でした。

(福井)
 
 バスで越美南線の美濃白鳥に着き、同線を完乗すべく終点北濃に向かい、降り返し美濃太田まで乗りました。長良川に沿ってのんびり走る路線でした。
 同線はこの4ヶ月後に第3セクターに転換されてしまいましたが、美濃太田ではこのための新しいホームが作られていました。(写真右)

(美濃太田)
 

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