ちょっとむかしの電車のアルバム
H19.5.23UP
 昭和61年5月3日

 ゴールデンウイークに大学時代の友人と和歌山の方に出かけました。
 写真を撮るにはあいにくの天気でしたが、買ったばかりのズームレンズが面白く、写真はまあまあ撮っています。

 恵比須町−浜寺駅前・浜寺公園−和歌山市−和歌山−貴志−和歌山−海南・日方−登山口−日方・海南−和歌山市−難波

 まずは阪堺線で恵美須町から浜寺駅前まで乗車ました。
 天気が悪かったためか、連休中にも関わらずこの写真に限らず人の姿は見られません。

(恵美須町)
 
 上と同じく恵比須町です。

(恵美須町)
 
 浜寺公園から和歌山市まで南海線で向かいました。
 途中、貝塚で南海線のホームから撮った水間鉄道の写真です。望遠135mmの威力を発揮しています。

(貝塚)
 
 和歌山市到着後、(適当な電車が無く)バスで和歌山に移動し、南海貴志川線の終点貴志まで往復しました。
 写真の1201型は上の写真にも見られるように、水間鉄道でも活躍していました。水間鉄道ではこの少し後に引退することになりますが、この貴志川線では1995年3月まで活躍していたようです。

(貴志)
 
 再び和歌山に戻り、野上鉄道に乗るべく海南に向かいました。これは、和歌山で見かけた105系です。まだクーラーも付いていないオリジナルのスタイルです。

(和歌山)
 
 ここからは10年ぶりに訪問した野上鉄道です。
 前回訪問時、青地に黄帯の塗装からクリームと朱色の2色へと塗り分けが進むのと併せ、富山地鉄からの車両導入がなされていたところでしたが、それが完了した以外は大きな変化はないように思われました。
 写真は元阪神のモハ30形です。明かり採り窓が特徴的ですが、車体横の広告はいただけませんでした(今思うと広告が付くだけよかったのかもしれませんね)。

(日方)
 
 廃止直前は荒れてしまっていたと言われる同鉄道ですが、このときの車両達は、きれいな姿だったように思います。
 写真はクハ100形です。

(日方)
 
 登山口方面から電車がやってきました。写真の線路が左にカーブする手前に国鉄海南との乗り換えのための「連絡口」駅があり、その間に車庫が配置されていました。
 「連絡口」は「日方」駅の構内の扱いだったようです。

(日方−連絡口)
 
 前回訪問時、導入のための改造工事中だった元富山地方鉄道のデ10形です。すっかり野上電鉄の車両になっていました。

(日方)
 
 上のデ10形の車内です。白色灯、ニス塗りの床など、今は殆ど見られないものです。
 これで登山口までを往復した後、国鉄で南海和歌山市に戻り、前年度に登場した10000系サザンに難波まで乗車しました。


 

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