昭和60年11月
今回は、昭和60年に阪神梅田から山陽電鉄の須磨浦公園までを往復して撮った阪急、阪神、山陽の写真を紹介します。
今年10月に阪急と阪神の経営統合がありましたが、20年前、両社は宿敵とまで言われ、まさか同じ会社になるとは思いもよりませんでした。
この頃はバブル景気が訪れる直前で、大手私鉄について言えば、ダイヤも車両も緩やかな変化で、今思い返すと「古き良き時代」でした。
この後、国鉄が民営化されライバルになり、バブル崩壊、震災、鉄道利用者の減少、と3社とも大きな波にさらされることになります。
梅田から須磨浦公園に向かう途中、御影で下車し、何枚か撮りました。
阪神と言えばジェットカーです。実際のランカーブがどうなのかは知りませんが、出だしの加速よりも少しスピードが出てから、更に力強い加速が長く続く感じが面白く、今でも阪神に乗る機会があるときは好んで乗っています。
この5001形はこの頃2+2の編成でしたが、その後4両固定化や方向幕設置の改造を受けています。写真の5007は今も健在ですが、中間に組みこまれています。
(御影)
上の写真と同じ駅です。
写真は3000系(3101形)です。7801形等を界磁チョッパ化したもので、形式としては新しかったのですが、ご覧のとおり古臭い新車?でした。
(御影)
その後、須磨浦公園まで行き、何枚か撮りました。
山陽電鉄の主力車は3000系でした。
(須磨浦公園付近)
当時は阪神・阪急の両社が須磨浦公園まで乗り入れていました。
(須磨浦公園)
日本初のオールアルミ製車両の山陽2000系です。この形式は鋼製車、ステンレス車もあるなどバラエティに富んでいました。1990年までに全車廃車になりましたが、このアルミ車は現在も東二見車庫に保存されているそうです。
(須磨浦公園)
阪急と阪神の並びの写真を撮ろうと思っていたのですが、成果はありませんでした。
阪急の乗り入れは平成10年で終了しています。
(須磨浦公園)
須磨に場所を移し、何枚か撮りました。
登場間もない阪神8000系です。前面スタイルが従来の車両から大きく変わっていますが、1段下降窓も新鮮でした。
(須磨)
対する阪急は6000系しか見かけなかったようです。
(須磨)
山陽3000系です。鋼製車ですがアルミ車と混結されるため、ご覧のように塗装されています。
(須磨)
阪神で梅田に戻る途中、再び御影で下車して写真を撮りました。
この頃、阪神の車両については、8000系しか知らず、その他は、急行系の赤胴車、普通系の青胴車といった違いでしか見ておらず、適当に写真を撮りました。今あらためて写真を見たところ、結構いろいろな形式の写真が撮れていました。
こちらは営業車両では日本初の電機子チョッパ車の7101形です。回生ブレーキを持っていない変った車両です。その後、改造を受け2000系になり、現在も活躍中のようです。
(御影)
こちらは7801形です。上の7101形とコンビを組んでいましたが、抵抗制御です。同じく2000系になっています。
(御影)
こちらは5261形です。震災で廃車になってしまいました。
(御影)
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