ちょっとむかしの電車のアルバム
H18.8.20UP
 昭和60年7月14日

 最近その言葉を聞くことは殆どありませんが「軽便鉄道」という言葉は非常に魅力的です。写真を撮り出した昭和50年頃、既に多くの路線は廃線になっていましたが、下津井電鉄、黒部峡谷鉄道、そして近鉄の3社が存在していました。
 昭和58年に黒部峡谷鉄道を訪問していましたが、地域の足ととして存在する他の2社の路線を早いうちに訪問したいと考えていました。
 そのような時、四日市に1ヶ月間滞在することになり、その機会に、近鉄の内部、八王子線、北勢線の全線を訪問することができました。
 また、北勢線と川を隔ててほぼ平行して走る三岐鉄道も訪問しました。

 まず、四日市〜内部の内部線に乗りました。
 車両は近代化が進み、260系が活躍していました。

(内部)
 
 上の260系(Mc)とペア-を組む110形(Tc)です。260系は新造ですが、こちら110形は改造車でウインドシルがあります。

(内部)
 
 内部線と八王子線の分岐駅の日永で、八王子線の西日野行き電車待ちの際に写した1枚です。

(日永)
 
 内部線乗車の後は、北勢線に乗るため桑名に向かいました。
 西桑名駅でまず見かけたのは、戦前に北勢鉄道が導入した220形でした。
 ヘッドライトは標準軌の車両で使われているものと同サイズと思いますが、やけに大きく見えます。
 西別所までの2駅だけこの電車に乗りました。

(西桑名)
 
 220形の車内です。狭いうえに妻部の窓が無く息が詰まりそうです。扇風機の取り付け位置がユニークです。

(西桑名)
 
 西別所まで220形に乗った後、この電車で北勢線終点の阿下喜まで乗りました。車両は、同線近代化のために1977年に製造された270系です。切妻の正面、他線と同様の1色塗装と趣味的には面白くない車両でした。

(阿下喜)
 
 乗って来た電車の折り返しの写真です。

(阿下喜)
 
 この写真を撮った後、三岐鉄道伊勢治田まで歩きました。

(阿下喜)
 
 三岐鉄道の伊勢治田に辿り着いた後、まずは終点の西藤原まで行きました。西藤原は山の麓にあり、高原の駅という印象を受けたように記憶しています。
 過去には、緑と黄色の塗装の旧型国電やオリジナルの車両が活躍していたようですが、訪問時は西武っぽい塗装になり西武のセコハンが中心になっていました。写真は601系です。
(間違いがあり修正しました。8/20)

(西藤原)
 
 西藤原から近鉄富田に向かい、その途中に車庫がある保々で下車しました。
 こちらも元西武のモハ150形です。

(保々)
 
 無骨な車両も活躍中でした。
 この車両(モハ150形)の車体は鉄道省(国鉄)から相模鉄道を経て三岐鉄道に来たものです。 。

(保々)
 
 後ろに貨車が写っています。
 三岐鉄道は元々セメント原料の貨物輸送を目的に作られた鉄道で、このときも貨物輸送は盛んであったはずですが、休日のためか貨物列車の運行は、あまり見なかったような気がします。

(保々)
 
 富田から近鉄で四日市まで戻ってきました。

(四日市)
 

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