昭和60年3月
大学卒業前の春休み、鉄研の先輩に誘われ車で廃止直前の加悦鉄道を訪問しました。
ついでにダイヤ改正を控えた山陰線や第3セクターへの転換を控えた国鉄三木線も訪問しました。
キハ82「まつかぜ」です。食堂車を組み込んだ博多行きの黄金期です。
この直後(S60.3.14)の改正で「まつかぜ」は米子行きになり、キハ181に変更されました。
(梁瀬)
この頃、山陰線ではまだまだ客車列車が活躍していました。
(上夜久野〜下夜久野間)
福知山の方から山を越え、麓に下りたところに加悦鉄道の加悦駅はあり、駅に入るとキハ08が乗客を待って停車していました。
この場所と車両と駅舎の組み合わせは、まさに模型のような光景でした。
(加悦)
加悦駅には「加悦SL広場」があり多くの車両がバランスよく置かれていました。(写真後方にSLも写っています)
(加悦)
キハ101です。廃線後も保存され、最近動態復元されたようです。
(加悦)
加悦から2手に分かれ、丹後山田まで片道は鉄道に乗車、片道は車により途中撮影で往復しました。
客車をディーゼル化したキハ08に乗ることが出来たのは幸運でした。
(丹後山田)
加悦鉄道に乗った後、時間があったため、これも廃止間近の国鉄三木線を見にいくことにしました。
三木に行ってみると既に転換後の受け皿となる三木鉄道のレールバスがいました。
(三木)
この少し前までレールバスといえば南部縦貫鉄道ぐらいしかなかったのですが、各地で国鉄線を引き継いだ第3セクターでどんどん導入されることになります。
この2両が三木鉄道の全ての車両だったようです。
(三木)
三木線だけでなく北条線も同時に廃止になりました。
三木線は主にキハ30、35が加古川線に直通していたようです。
(三木)
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