ちょっとむかしの電車のアルバム
H17.11.22UP
 昭和59年3月

 鉄研の春の旅行で九州を巡りました。鉄研の旅行は唐津集合・高千穂解散の3泊4日でしたが、その前後に以前から乗りたいと思っていた鉄道も訪問し、充実した旅でした。
 次のようなコースを巡ったと思います。お示しする写真は、唐津での集合までに撮ったものが殆どです。

 1日目 京都−(在来線)−門司港−(かいもん)
 2日目 伊集院(鹿児島交通・加世田往復)−西鹿児島(鹿児島市電見学)−博多
 3日目 博多−甘木(西鉄甘木−天神)博多−(香椎線・西鉄宮路岳線等)−唐津
 4日目 唐津−長崎
 5日目 長崎−(長崎・鹿児島・豊肥・高森線等)−高千穂
 6日目 高千穂−(高千穂・日豊線・日南・大隈線等)−西鹿児島−(かいもん)
 7日目 折尾(筑豊線群・筑豊電鉄)−小倉−(新幹線)−京都

 小学生時代に3年ほど鹿児島に住んでいたときに、乗りたいと思いながら乗ることが出来なかった鹿児島交通に、10年越しの思いがかない、乗れる日がやってきました。
 門司港からの夜行の「かいもん」で早朝の伊集院に降り立ちました。同線は前年6月の豪雨による災害で伊集院〜日置・加世田〜枕崎は運休していました。このため、日置まで代行バスで行き、そこから加世田まで乗車しました。
 写真はキハ300です。下の写真のキハ100に比べるとはるかに高性能・近代的(?)な車両で、国鉄乗り入れ(当時運休)に使用されていました。

(加世田?)
 
 キハ100です。流線型の外観が昔風で、中身も総括制御不能という前近代的な車両です。

(加世田?)
 
 鹿児島交通線最大の駅は加世田で、車庫も設置されていました。
 過去使用されていたSLや客車の廃車体が置かれていたと思うのですが、写真はありません。

(加世田)
 
 加世田から再び日置まで戻り、伊集院行きの代行バスに乗り換えました。

(日置)
 
 (訪問時には当然知っていましたが)鹿児島交通は、この直後3月17日に全線が廃止されてしまいました。非常に残念でしたが、直前に乗れたことはせめてもの慰めでした。

(日置)
 
 鹿児島交通を訪問した後、鹿児島市電に乗るべく伊集院から西鹿児島に向かいました。
 途中で見かけたキハ58のジョイフルトレイン「ラクダ号」です。

(西鹿児島)
 
 鹿児島に住んでいたときによく利用した市電に対面しました。
 写真は元大阪市のPCC車3000形を改造した700型連接車です。私の小学生時代には朝のラッシュ時のみの運用で、見かけることはあっても乗ることはできませんでした。この訪問時も車庫におり、限定的な運用のようでした。

(車庫(交通局前))
 
 タネ車の大阪市3000形は素晴らしい乗り心地と言い伝えられており、是非乗りたかったのですが、この時もかないませんでした。

(車庫(交通局前))
 
 鹿児島市電は均整のとれたスタイルに統一され、広告車が若干ありましたが、南国らしい明るい塗装もマッチしていました。

(車庫(交通局前))
 
 南側の終点の谷山まで乗りに行きました。鴨池から谷山間は専用軌道です。途中で下車し、昔住んでいた家を見にも行きました。

(南鹿児島駅前)
 

(二軒茶屋?)
 
 鹿児島から博多に戻り1泊した後、国鉄で甘木に行き、西鉄の甘木線に乗り換えました。
 甘木線では200形が活躍していました。写真では分かりにくいかもしれませんが、電車としては珍しく、キハ07のように正面が半円形になっています。


 
 甘木線に乗った後、事前に訪問の依頼をしていた筑紫車庫を訪問しました。
 前面非対称が珍しい5000形です。現在の西鉄の塗装はこの5000形からで、この塗色は既に他の形式にも及んでいました。

(筑紫車庫)
 
 300形もまだ活躍していました。

(筑紫車庫)
 
 往年の特急1000形です。3扉化、ロングシート化され、塗装も変り特急時代と大分イメージが変わっています。

(筑紫車庫)
 
 こちらも往年の特急1300形です。現在、既に廃車になっていますが、1000形とは異なり最後まで2扉、クロスシートでした。

(筑紫車庫)
 
 大牟田線の後は宮路岳線を見に行きました。こちらは見ただけで乗車はしていません。

(和白?)
 
 クロ481です。この頃までグリーン車は編成中ほどが普通で、先頭のグリーン車は珍しい存在でした。

(博多)
 
 福岡市交・筑肥線で集合の唐津へ向かいました。
 福岡市交1000系です。地下鉄によくありますが、近代的なスタイルです。


 
 一方、福岡市交に乗り入れる国鉄は103系でした。スタイルはまだしも、201系が登場して既に何年も経った時期に登場する地下鉄乗り入れ用の車両としてはどうかと思いました。


 
 登場して間も無い581系から格下げの715系に出会いました。
 特急の格下げ、交流専用化といった従来にない改造でしたが、今から思うと、この後続々と出てくる改造車のはしりだったと思います。


 
 この後、長崎に行き長崎電軌を訪問、翌日は高千穂線の高千穂まで移動し、民宿に泊まって鉄研の旅行は解散でした。解散後は国鉄の未乗線乗車にいそしみ、その日(解散日)は高千穂線・日南線・大隈線に乗りました。翌日は筑豊線群をほぼ乗り尽くす予定でしたが、うたた寝のため、あえなく予定変更。適度に乗り尽くして新幹線で帰りました。

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