昭和57年7月
鉄研の夏の旅行で信州へ出かけました。高校時代、学校から上高地に行ったことはありましたが、信州の鉄道に乗るのは実質初めてでした。
1日目 京都−(新幹線+しなの)→松本(松本電鉄見学)
松本まで行き、まずは松本電鉄全線を往復しました。同社の車両は全て旧型車の足回りに日車標準の車体を載せた10形でした。標準車体とはいうものの、他社で導入していたのは岳南鉄道と新潟交通ぐらいで、私はこの時に初めて見ました。
(島々?)
何枚撮ってもこの車両です。
(島々)
松本に一泊した後は、篠ノ井線で長野に向かいました。
上と同じ場所で撮った写真です。
篠ノ井線は165系にに乗りました。381系でなく115系でもなく、汽車旅らしい車両(私が持っていた感覚です)に乗れたことにより、篠ノ井線の旅がより楽しくなったのだと思います。
長野に着いてから自由行動になったので、まず長野電鉄に乗り善光寺にお参りしました。
(須坂)
2500系の導入により旧型車の多くは引退していましたが、須坂から屋代に向かう線などで、まだ活躍していました。
(須坂)
地下化の際に新製された新OSカーこと10系です。元祖OSカーや次の2000系など自社で高品位な車両を導入している姿に力強さを感じたものです。
(須坂)
クロスシートを装備した2000系です。昭和30年代に登場した車両で、その後冷房化、ワンマン改造、塗り分けの変更などありましたが、現在も活躍中です。
(須坂)
特急料金が要ることもあり、乗車しませんでした。
(須坂)
沿線の宿(場所は忘れました)に一泊しました。 信越線に乗るべく、旧型車で屋代に向かいました。
(屋代)
屋代から上田に向かい、上田交通の全線に乗りました。
(別所温泉)
上田交通の後は、碓井峠に行きました。
(軽井沢)
碓井峠(軽井沢−横川間)で運用されていたEF63です。
(横川?)
軽井沢−横川間を往復しました。
(横川?)
碓井峠見学の後、小諸に泊まり、翌日小海線に乗りました。車窓が非常に美しい路線でした。ただ、途中下車はせず、これは車中から写した写真です。「国鉄」最高駅の表示が今は懐かしいですね。
(野辺山)
小海線乗車後解散になりました。大糸線も車窓が美しいと聞き、解散後1人で乗りに行きました。
(南小谷)
大糸線は北小谷で下車し、降り返しました。
(北小谷)
大糸線乗車の後、松本で1泊し飯田線で帰途に着きました。165系急行で豊橋まで戻るつもりでしたが、急行で一気に戻るのが惜しく、途中で下車し80系普通に乗り換えました。この頃165系(153系もいたかもしれません)以外は旧性能車が活躍する路線でした。
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