昭和57年4月
大学の鉄研でゴールデンウイークに南海高野線の林間田園都市に行きました。おそらくニュータウン開発と鉄道といったテーマに絡めて行ったのだと思います。
当時開発途上で、駅前に家の無い広い造成地が広がっていたのを覚えています。
ここで何枚か写真を撮った後、阪堺電気軌道に乗りに行きました。
林間田園都市付近撮った20001系「こうや」です。この頃特急の停車駅は限られていましたが、現在はこの林間田園都市にも停まるようになっています。
(林間田園都市付近)
高野線からどのようなルートを辿ったか忘れましたが、阪堺線の浜寺駅前にやってきました。
6年ぶりの訪問でしたが、このとき既に南海から独立し阪堺電気軌道になっていました。
(浜寺駅前)
車庫があるあびこ道まで行きました。
「1」番線を示す看板が出ている停留所は郊外鉄道の駅のようです。
(あびこ道)
この頃、阪堺電軌の塗装は写真のとおり、雲をデザインしたものが主でしたが、私自身は上の緑一色の重厚な塗装が好みでした。ちなみにその前はクリームと緑の2色の塗り分けでした。
(あびこ道)
351型です。この頃の路面電車にしては近代的な外観でかつ、エアサスを履いていますが、実は釣り掛け駆動の車両です。
(あびこ道)
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