ちょっとむかしの電車のアルバム
H17.5.28UP
 昭和52年9月

 大阪に住んでいた小学生の頃、阪急で河原町に行くと市電が元気に走っている姿が見られ、子ども心に京都のまちには市電が似合うと思ったものです。その市電も昭和40年代後半からどんどん廃線になり、昭和52年には河原町通と七条通からも消えることになり、友達と写真を撮りに行きました。
 この頃、京都に住んでいながら市電に乗ることは殆どありませんでしたが、繁華街の四条から市電が無くなることに寂しさを感じたものです。

 京都駅前です。後ろに見えるのは中央郵便局です。この頃、これ以外に高い建物は見当たりませんが、今では周りに同じような高さの建物が建っています。
 大きな変化が無いように感じる京都のまちですが、30年近く経ち、改めて当時の写真を見ると、やはり変化を感じます。その中でも特に大きく変わったのが、この京都駅周辺ではないかと思います。
 この市電ターミナルは現在バスターミナルに変貌しています。

(京都駅前)
 
 七条烏丸の交差点です。京都駅から来た電車が、向きを変え、七条通を西に走って行くところです。

(七条烏丸)

 七条通りを走っていた市電は国鉄山陰線をアンダークロスしていました。

(七条千本付近)

 同じく国鉄山陰線との交差点東側です。
 背景に写っているとおり、山陰線の高架が既に出来ていますが、平面の踏切も残っていたようです(写真では分かりづらいですが・・)。

(七条壬生通−七条千本間)

 大文字山を背景に停留所に停車中の電車です。
 結構多くの利用者が見られます。

(金閣寺前)

 北大路通を走る電車です。洛北高校前あたりでしょうか?

 この時、京都市電で最も街中を走っていたのが、河原町通の四条〜三条間でした。
 道幅は広くなく、ご覧のとおり市電は車に邪魔されるように走っていました。

(河原町三条)

 九条通の東寺前です。広々した道を颯爽と走っていますが、ここは国道1号で、ラッシュ時には車にまみれて走っていたのかもしれません。

(京阪国道口)

 京都市電は、東山三条、四条、七条、伏見稲荷の4箇所で京阪と平面交差していましたが、この時は、東山三条と七条だけになっていました。
 京都市電が走っていたことを知らない人も多くなっていると思いますが、京阪が地上を走っていたことも、既に忘れられてきているのではないでしょうか。
 写真に写っている京阪は2000系のようです。

(七条大橋付近)

 この写真を見ていたら、架線がシンプルカナテリーであることに気がつきました。他の写真を見てみたところ、結構多くの場所で採用されていたようです。

(葵橋)

top page
inserted by FC2 system