昭和52年9月
大阪に住んでいた小学生の頃、阪急で河原町に行くと市電が元気に走っている姿が見られ、子ども心に京都のまちには市電が似合うと思ったものです。その市電も昭和40年代後半からどんどん廃線になり、昭和52年には河原町通と七条通からも消えることになり、友達と写真を撮りに行きました。
京都駅前です。後ろに見えるのは中央郵便局です。この頃、これ以外に高い建物は見当たりませんが、今では周りに同じような高さの建物が建っています。
(京都駅前)
(七条烏丸)
七条通りを走っていた市電は国鉄山陰線をアンダークロスしていました。
(七条千本付近)
同じく国鉄山陰線との交差点東側です。
(七条壬生通−七条千本間)
大文字山を背景に停留所に停車中の電車です。
(金閣寺前)
北大路通を走る電車です。洛北高校前あたりでしょうか?
この時、京都市電で最も街中を走っていたのが、河原町通の四条〜三条間でした。
(河原町三条)
九条通の東寺前です。広々した道を颯爽と走っていますが、ここは国道1号で、ラッシュ時には車にまみれて走っていたのかもしれません。
(京阪国道口)
京都市電は、東山三条、四条、七条、伏見稲荷の4箇所で京阪と平面交差していましたが、この時は、東山三条と七条だけになっていました。
(七条大橋付近)
この写真を見ていたら、架線がシンプルカナテリーであることに気がつきました。他の写真を見てみたところ、結構多くの場所で採用されていたようです。
(葵橋)
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