ちょっとむかしの電車のアルバム
H17.4.23掲載
 昭和51年7or8月

 電車好きの友達に「『別府鉄道』はどこにあるでしょう?」と問いかけられ、当然「大分県」と言いましたが、兵庫県加古川市にあり「べふてつどう」というんだと答えが返ってきました。その時は「ふ〜ん」というだけでしたが、その後同鉄道の写真を見て、大阪近郊にこのような鉄道があるのかと非常に驚きました。
 中学2年の夏休み、大阪から京都に引っ越すことになりましたが、その前に友達とこの別府鉄道を見ようということででかけました。  ついでに山陽電鉄や神戸電鉄の写真も撮りました。

 別府鉄道の土山までは、国鉄で向かいました。途中大阪、三宮で写真を撮りました。

(大阪)

 上と同じアングルです。

(大阪)

 昨年、写真を撮った「つるぎ」は24系25型に変っていました。

(大阪)

 この頃気動車特急といえばキハ82でした。

(三宮)

 土山に着き、国鉄と共用の陸橋を渡り別府鉄道のホームに行くと、ご覧のとおりオープンデッキの客車が貨車と混結され待っていました。しばらくして「DB201」のプレートをつけたディーゼル機関車につながれ出発しました。
 出発の時の衝撃がすごかったこと、ゴロゴロという感じで走ったことが今も思い出されます。

(土山)

 15分程で終点の別府港に着きました。写真にあるように線路は更に海側の方に伸びていました。左が駅舎です。

(別府港)

 別府港には車庫があり、意外にも多くの車両を見ることができました。
 この機関車が土山から客貨車を牽引したDB201です。

(別府港)

 こちらはハフ5です。上のハフ7に負けないレトロな車両です。

(別府港)

 両端にバケットがある気動車もいました。
 別府鉄道は、山陽線土山から別府港に至る土山線と、高砂線野口から別府港に至る野口線から成っていました。土山線は客車、野口線は気動車により運行されていたようです。

(別府港)

 別府鉄道の写真を撮った後、山陽電鉄、阪神電車で戻りました。
 車庫がある東二見で降り、写真を撮りました。
 この2000系はアルミ車体ですが、他にステンレス、鋼製車もありました。当時、アルミ車体は地下鉄を除きは珍しかったのではないかと思います。

(東二見)

 2700系です。700系の足回りを流用し、上の2000系をベースにしたの車体を乗せた車両です。700系+2000系=2700系?
 第1次車はデビュー時は転換クロスシートを装備していたそうです。

(東二見)

 270系です。上の2703と似ていますが2扉で、ヘッドライトも異なります。
 なおこの形式には1両だけですが、釣り掛け式のチョッパ制御車があったそうです。(一度乗ってみたかった!)

(東二見)

 神戸電鉄の写真も撮ろうということで、地上の長田駅まで行きました。
 写真の1100系は、当時神鉄の主力であったようです。

(長田)

 上の写真の1100系に似ていますが、創業時の車両の足回りを流用している800系です。

(長田)

 神戸電鉄にも登場したてのアルミ車3000系がいました。この車両には、大手私鉄以外では少ないクーラーも装備していました。

(長田)

 神戸電鉄を見た後は、普段乗らない阪神で梅田まで戻りました。
 写真は7801形です。

(甲子園)

 同じく7801形です。特急から準急まで区別無く使われていたようです。

(甲子園)

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