昭和51年6月
両親の実家が熊本で、年に1〜2回は家族で祖父母など親戚の家に行っていました。定期的に旅行気分で親戚に会いに行けることは以前からの楽しみでしたが、鉄道の写真を撮り始めてから、また一つ行く楽しみが増えました。
ここで紹介するのは、中学2年の6月に熊本へ行った時の写真です。この頃、地方の私鉄に興味を持っていたため、熊本電鉄を訪れることを楽しみにしていました。このとき行きは「明星」、帰りは「有明」+新幹線でしたが、行きは学校の都合などを理由に(おそらく大した用事でもなかった思いますが)1人遅れて行きました。1人で夜行列車に乗るのはこのときが初めてで、遅くまで起きて車内をウロウロして車掌に注意されたことも懐かしい思い出です。
熊本駅前には市電の立派な停留所がありました。
S53年に日本の路面電車で初めて冷房車を導入したのが熊本市電ですが、この1200形はその1番手でした。これは冷房化前の写真です。
(熊本駅前)
1080形です。上の1200形に比べると重厚な感じです。
(熊本駅前)
楽しみにしていた熊本電鉄です。
親や親戚のおばさんに「熊本電鉄に乗りに行く」と言ったところ、「電車の本数は少ないので、写真は撮れないかもしれないよ。やめといたら」と言われましたが、何とか説得して(当然)1人でやってきました。
この時は上熊本から北熊本までを往復したように思います。
本で見た写真(白黒)から、クリームと紺の塗り分けと想像していたのですが、実物を見て意外な感じがしたものです。
運転系統は上熊本−北熊本と藤崎宮前−菊地になっていました。
(北熊本)
北熊本に車庫があり、結構な数の車両が留置されていましたが、その中でも特に目を引いたのがこの車両でした。
ヘッドライトが埋められていることから、運転台はなく引っ張られるのみの車両のように思われます。終点でわざわざ後位に付替えられていたのでしょうか?もしご存知の方がおられればお教え下さい。
(北熊本)
この頃は熊本電鉄に限らず、リベットゴツゴツの車両を結構見たものです。
(北熊本)
お見せできるような写真ではありませんが、右の腕木信号に免じて見てやってください。
(北熊本)
帰りは上熊本まで歩いて戻ったのかもしれません。この日はこの71が上熊本−北熊本間を走っていました。
(韓々坂)
ここからは国鉄の写真です。
祖父の家が熊本駅のすぐ近くにあったこともあり、熊本駅には毎日のように足を運びました。
関西ではなかなか見ることができなかった、東京からの夜行を見られるのも楽しみでした。
(熊本)
(熊本)
この1年少し前まで鹿児島に住んでいたため、「有明」には馴染みがありました。
そのよく利用していた頃は583系ばかり3往復だったのですが、新幹線が博多まで延伸されたS50年3月に「有明」は大幅に増発され、485系が主になっていました。
(熊本)
当時7往復あった「明星」のうち、1往復は唯一14系で運用され「あかつき」と併結、、筑豊線経由という異色の存在でした。私もこの「明星」で熊本へ行きました。
(熊本)
| アングルが悪い写真ですが、「おおよど」の写真は珍しいかと思い載せてみました。
(熊本) |
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