ちょっとむかしの電車のアルバム
H17.3.2UP
 昭和50年9月

 下関からの寝台特急「安芸」の写真を撮ること、阪急京都線の特急に乗ること、そして京都の電車の写真を撮ることを目的に出かけました。
 友人3人と一番電車で新大阪駅に行き、目的の「安芸」やその他のブルトレの写真を撮りながら大阪駅に移動しました。その後更に2人と合流し、阪急で京都に向かいましたが、たまたまデビュー間も無い6300系に乗れ、非常に盛り上がったものでした。京都に着いてからは京阪・近鉄・市電にチョイ乗りし、写真を撮りました。
 京都へは結構出かけることもありましたが、四条河原町周辺しか知らず、また子どもたちだけで行く事も無かったため、チョットした「遠出」といった感じでした。

 まだ5時台で十分明るくなっていないため、せっかくの「安芸」テールサインがはっきりと写っていません。「安芸」はこの年に新設されましたが、3年ほどで廃止になってしまった地味な列車でした。
(新大阪)

 「あかつき」は当時3往復あり、うち2往復は「明星」と併結していました。これはおそらく「あかつき」単独で運転されていた1号と思われます。
 この日は休みの日で、結構同好の士がいました。この写真の右端にも他の人が写っています。(新大阪)

 場所を大阪駅に移し、何枚か写しました。
 「つるぎ」は当時20系でしたが、翌年には25型に変更されています。

 なぜか左の「まつかぜ」をしっかり入れていない構図がまだまだ青いところです。

 大阪駅で写真を撮った後、阪急で河原町へ向かいました。
 河原町に着いて地上に上がると、市電が元気に活躍していました。写真は四条河原町の交差点です。

 ただ、車が軌道敷きを我が物顔で走っていました。
 まだカメラを十分使いこなしておらず、駅で長時間停車している電車を撮るのと勝手が違い、走って来る電車にピントを合わせてタイミングよく写すのは難しく感じました。

 四条河原町で市電の写真を撮った後、京阪の四条に向かいました。この当時、京阪は鴨川と疎水の間を走っており、四条の踏切には遮断機が無く、ご覧のように職員が旗を持って立っていました。
 この後、歩いて三条に行き、鉄道線とも路面電車ともいえないようなサイズの京津線の車両に感動したのを覚えています。当然、写真も撮りましたが、結果はトホホ・・でお見せできるようなものがありません。

 三条で写真を撮った後、京阪で丹波橋に行き、近鉄に乗り換え京都に向かいました。どちらも馴染みの薄い電車で数年振りに乗りました。
 写真は京都駅で写した近鉄18000系で、旧型車の部品を流用した吊掛車です。右に写っているのは800系です。この電車も写真を撮りましたが、今回は紹介せず(できず?)、別の時に撮ったものを後日お見せしたいと思います。
 この後、市電で四条河原町へ再び戻り、阪急で家に帰りました。

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