営業距離は短かかったものの、瀬戸内海を見下ろす景色の良い場所を走り、全国的に残り僅かになった軌間762mmの軽便鉄道の1つでもあったことから、雑誌などでもたまに取り上げられていました。 当然のことながら、経営は厳しかったようで、雑誌などには「撮影はお早めに」と書かれることもありましたが、部分廃止後15年以上も、頑張って営業を続けていました。 それを一変させたのが、昭和63年のJR本四備讃線の開業でした。同線の開業により、下津井電鉄は再び児島でJRと連絡し(約700m離れていましたが)、また景気も追い風になり、観光鉄道に脱皮すべく新車の投入や駅施設の改良など、瀬戸大橋ブームに乗り、明るい話題で盛りあがり、乗客も増えたようでした。
しかしブームが去った後、乗客は減少し、さらに本四備讃線の開業による下津井電鉄のバス路線の経営悪化が追い打ちをかけました。
廃線から約18年経ちましたが、現在でも会社は「鉄道」の名を残しバス事業を中心に事業を展開されています。また児島駅舎や車両が一部残り、児島〜下津井間は廃線跡を活かした道路整備がされるなど、鉄道の遺構が多く見られるようです。
昭和62〜63年 瀬戸大橋線開業に併せ児島駅の移転改築、琴海駅交換施設の復活、新車の投入など実施 平成3年1月1日 全線廃止
昭和56年当時のものです。毎時約1本で、夜も結構遅くまで走っていました。 (昭和63年以降のものを探しています。見つかれば掲載します)
中学1年のとき、雑誌でこの鉄道の存在を知りました。正真正銘の軽便鉄道であり、景色の良いところを走るらしいということから、是非1度訪れたいと思いを募らせていました。しかし国鉄と接続していないため、さすがに行きにくく、訪問を果たせずに月日が経ってしまいました。
ようやく訪問したのは、本四備讃線が開通し、苦労せずに行けるようになった昭和63年のことでした。
しかし意外にもその4年を経ずして同鉄道は廃線されることになりました。「メリーベル号」の姿などを見るのもむなしく、見納めには行かなかったため、結局、訪問したのは1回きりになってしまいました。 <訪問時の状況>(撮影旅行のページへ) (乗車時の切符を持っているかもしれません。見つかれば掲載します。)
下津井電鉄(株)<公式サイト> 「歴史資料館」のページに車両や記念乗車券などの写真も掲載されています。
下津井みなと電車保存会
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