野上電鉄は、JR紀勢線の海南から山間に入っていく11.4kmの電化私鉄でした。 他の地方私鉄と同様、モータリゼーションの進展により経営が苦しくなり、昭和40年台半ばには全廃の方針が出されていました。 しかし、オイルショックにより乗客の増加もあり、昭和50年には、赤字額の補填を国から受ける欠損補助金を活用して存続するよう方針変更されました。 保有車両を増やし、30分間隔の運転に増加しましたが、長くは続かず、昭和58年には45分間隔に減便されてしまいました。 平成4年に国からの欠損補助金見直しにより、支援打ち切りの対象になり、平成6年3月31日で路線は廃止され、会社も解散されました。 廃線後、一部の駅跡は公園整備され、また線路敷はサイクリングロードになっているところもあるようです。
平成6年3月31日 全線廃止
昭和55年当時のものです。ほぼ30分間隔で、割と朝早くから夜遅くまで運転されています。
昭和51年3月に友人と和歌山に出かけた際に、海南まで足をのばして日方・連絡口で写真を撮りました。このときの写真が上の(1)〜(5)です。 車体の色が青地に黄帯からクリームと朱色の2色へ変更されているときで、新旧塗装の車両や富山地鉄から購入した改造前の車両を撮ることができました。ただ、ポケットカメラ(110フィルム)での撮影だったので、あらためて撮りに行きたいと思いながら、日が経ってしまいました。
2回目の訪問は、それから10年が過ぎた昭和61年で、買ったばかりのズームレンズを携え、日方で撮影して登山口まで往復しました。このときの写真が(6)〜(10)です。
その後、厳しい経営が続いていると聞いていましたが、ついに廃止されることになったので、最後の日曜日に訪問しました。 <訪問時の状況>(撮影記録のページへ)
昭和51年3月14日 (乗車時の切符を持っているかもしれません。見つかれば掲載します。)
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