熊本電鉄は、JR鹿児島線上熊本から御代志に至る10.8kmの菊池線および菊池線の途中、北熊本から藤崎宮前に至る2.3kmの藤崎線から成る路線です。運転は藤崎宮前から御代志、上熊本から北熊本になっています。 以前は御代志から先、線名にもなっている菊池まで線路が延び「菊池電車」の愛称で呼ばれていましたが、御代志〜菊池は昭和の時代に廃止になっています。 残った区間では、新駅設置や路線改良も進んでいますが、藤崎宮前〜黒髪町間には同鉄道の軽便鉄道時代の名残なのか、今でも併用軌道があり、撮影名所になっています。 昭和50年代のはじめまで古い車体の車両が活躍し、貨物との混結も見られたようですが、昭和52年に静岡鉄道から車両を導入したのに続き、東急、南海、東京都から導入を続け、新性能化を図りました。 現在は、東京都から導入した6000系が主力になっていますが、東急から導入した青ガエルこと5000系もオリジナルの緑色の塗装で活躍中です。 経営は苦しい状況が続いているようです。ビール電車を運行したり、車内への自転車の持ち込みを認めるなど、利用客の増加に向け取り組まれてきましたが、さらに抜本的な対策として、LRT化し熊本市電と連絡する計画もあるようです。 (現在の路線図)
昭和61年2月16日 御代志〜菊池間を廃止
昭和54年当時のものです。毎時1〜2本ですが、北熊本で藤崎宮〜菊池の電車が交換し、その直前に上熊本からの電車が到着し、すぐに藤崎宮〜菊池の電車の客を受けて折り返すきれいなダイヤです。
田舎が熊本であったため、幼ない頃から年に1〜2回熊本へ行っていました。 熊本電鉄の存在を知ったのは中学1年のときで、次回熊本に行く際には是非訪問したいと思っていましたが、中学2年(昭和51年)のときにそれが実現しました。 このときの写真が上の(1)〜(5)です。途中で下車しながら、上熊本から北熊本を往復したように覚えてます。 土曜日の午後で、列車は下校時の学生で賑わい、北熊本で3本の列車が揃う様子に活気を感じたこと、入れてもらった車庫には多くの車両があり、「元気な鉄道」のイメージを持ったものです。 次の訪問はその3年後の昭和54年で、上熊本から泗水あたりを往復しました。写真を撮るため、途中北熊本で下車、また泗水〜堀川間を歩きました。このときの写真が上の(6)〜(13)です。在籍車両は大きく変っていなかったようですが、前回の訪問時から塗り分けが変っていました。 3度目の訪問は、更に3年後の昭和57年で、上熊本から藤崎宮前に行きました。このときは写真は撮りませんでしたが、北熊本で車庫に休む静岡鉄道、東急から導入された車両の姿を目に焼き付けてきました。 それ以後、長らく訪問することが出来ませんでした。その間、路線は短くなり、車両は入れ替わってしまいました。そして3度目の訪問から30年ほど経った平成22年に、上熊本から藤崎宮まで乗車することができました。このときの写真が上の(14)〜(22)です。 LRT化の実現には、財源の確保やさまざまな調整など大変でしょうが、市電の線路と接続され、熊本電鉄の車両が中心街に乗り入れることを願うところです。 <訪問時の状況>(撮影旅行のページへ) (乗車時の切符を持っているかもしれません。見つかれば掲載します。)
熊本電気鉄道(株)<公式サイト> LRT化の資料も掲載されています。
熊本と〜まる:きくち電車クラブ(菊池電車クラブ)
You−enてっどのページ(きくち電車のページ)
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