鹿児島交通は国鉄鹿児島線伊集院から指宿枕崎線の終点枕崎を結ぶ49.6kmの非電化私鉄で、薩摩半島を1周する鉄道ネットワークの一部を担っていました。 もとは南薩鉄道と言い、加世田から薩摩万世、阿多(加世田の1つ北)から知覧までの支線もありましたが、早くに廃止されていました。残った伊集院〜枕崎の枕崎線は、モータリゼーションにより乗客が減少する厳しい環境のなか、徹底的な合理化により頑張っていましたが、豪雨による路盤の崩壊で全線が不通になり、その後一部復旧したものの、ついに昭和59年に廃止になってしまいました。
廃止の少し前は10往復程度の運転でしたが、昼間にも運行があり、一部は国鉄の西鹿児島まで乗り入れるなど地域の足として利便性の向上に努めていたようです。 廃止後、加世田駅跡に南薩鉄道記念館が出来、活躍した車両やその他の資料が保存されていましたが、現在(H19年1月現在)は休館しているようです。
昭和58年6月21日 豪雨災害のため全線不通 昭和58年7月1日 日置〜加世田間 運行再開 昭和59年3月18日 伊集院〜枕崎間廃止
小学校高学年の3年間、鹿児島に住んでいましたが、学校の教室などに掲げられていた県域の地図に示された2つの私鉄(鹿児島交通と屋久島の森林鉄道)のマークが非常に気になっていました。家族での観光や遠足で鹿児島交通沿線に出かけることが何度かありましたが、いつもバスで鹿児島交通への乗車は叶わず、線路を見ることはあっても列車を見ることもありませんでした。 その後関西に引越して、乗るチャンスも無くなり、また鉄道雑誌等に登場することも殆ど無かったため、鹿児島交通のこともいつしか忘れてしまっていました。
ところが、大学3回生の昭和58年、伊集院〜日置、加世田〜枕崎間が不通になったとのニュースが入り「まずいことになったなぁ」と思っているうち、全廃になってしまうことを知りました。
門司港から夜行急行「かいもん」で早朝の伊集院に降り立ち、代行バスで日置に行き、あこがれのキハ100に対面し、これに乗って加世田に行き、車庫を見学して再び同じルートで伊集院に戻るというコースでの訪問でした。上の写真はこのときのものです。
<訪問時の状況>(撮影旅行のページへ) (乗車時の切符を持っているかもしれません。見つかれば掲載します。)
南薩鉄道めもりある 鹿児島交通の歴史や車両、廃止後の様子などを詳しく、分かりやすく紹介されています。
鉄道写真館「南九州の鉄道を訪ねて」
|