別府鉄道は国鉄高砂線野口から別府港に至る3.7kmの野口線、および国鉄山陽線土山から別府港に至る4.1kmの土山線から成る非電化私鉄でした。 親会社は多木化学という会社で、製品の肥料などを山陽線経由で輸送することを目的に同鉄道は敷設されました。実際にその役割を果たしてきたようですが、国鉄の貨物輸送合理化の影響を受けて昭和59年に廃止になってしまいました。 廃止直前まで貨物と木造2軸客車(ハフ5、ハフ7)の混合列車やバケットの付いた気動車が活躍し、なおかつそれが大阪から1時間程度の場所だったということは、今でも資料やホームページで一種の「驚き」として語られています。
しかしこのような古典的な状況が維持されていたためからか、廃止後はハフ5が地元の資料館に保存、ハフ7は生まれ故郷の相模鉄道に引き取られ保存、さらには線路の一部が踏切跡がある遊歩道に整備されるなど、廃止後20年近く経つ今でも、同鉄道の遺構を見ることができます。
昭和59年2月1日 全線廃止
昭和54年当時のものです。土山線4往復、野口線10往復です。
電車好きの友達に「『別府鉄道』はどこにあるでしょう?」と問いかけられ、当然「大分県」と答えましたが、「兵庫県にあり『べふてつどう』というんだ」と教えられました。その時は「ふ〜ん」というだけでしたが、その後ローカル然とした写真を見て驚き、是非訪問したいと思ったものです。
初めての訪問は、中学2年(昭和51年)の夏休み、学校の友達と兵庫県の鉄道に乗りに行ったときのことです。
次の訪問は、その7年後の大学3回生(昭和58年)の大学鉄研恒例の新入生歓迎の近場旅行のときでした。
山陽線の土山を通過するとき、必ず別府鉄道のホームをチェックしていましたが(別府鉄道に限らずどこでも同じことをしてましたが・・・)、乗車したのはこの2回だけで、2回目の訪問の1年半後に廃止されてしまいました。
<訪問時の状況>(撮影旅行のページへ) (乗車時の切符を持っているかもしれません。見つかれば掲載します。)
FOSSIL NET(ローカル私鉄紹介) 1970年代後半〜1980年代前半のローカル私鉄や国鉄等を紹介されているページです。 別府鉄道についても車両、沿線の様子などを紹介されています。
二邑亭駄菓子のよろず話(私鉄ローカル線)
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