ちょっとむかしの電車のアルバム(客車(普通・急行型))

客車(普通・急行型)

昭和56年3月

 長崎線は既に電化されていましたが、電車は特急だけで急行以下は気動車または客車でした。
 長崎駅で見かけたスハフ42です。

(長崎)
 


昭和58年9月

 12系のお座敷列車です。どこの駅か記憶はありません。


 


昭和60年3月

 この頃、山陰線ではまだまだ客車列車が活躍していました。

(上夜久野〜下夜久野間)
 


昭和61年1月

 このとき、さすがに旧客は無かったようですが、まだ客車の運用は結構あったようです。
 大手私鉄では、旧性能車が殆ど一線を退いていたような状況でしたが、都会の近くでこのような情景が見られていたとは、やはり国鉄の近代化は遅れていたのですね。

(保津峡)
 
 普段利用している人には、エアコンは無く、時間もかかり大変でしょうが、趣味的にはこの光景はたまりませんね。

(保津峡)
 

(保津峡)
 


昭和61年8月16日

 米子からは、福知山まで雑客に乗ることができました。
 このとき雑客も近く引退と言われており、最後の乗車になるだろうと思いながら堪能しました。
 
 途中、5分、10分の停車は当たり前で、鳥取では40分程度の停車があり、下車して駅前に弁当を買いに行くこともできました。写真も撮り放題です。
 
 駅に停まると、静寂が訪れ、乗客は車外に出て気分転換を図っていました。
 
 福知山までの客車の旅は飽きることのないものでした。福知山から京都までは気動車に乗りました。

(福知山?)
 
 

(福知山?)
 


昭和62年8月16日

 磐越西線です。50系の客連が多く残っていたようです。


 


平成4年11月1日

 青森からは海峡線専用の50系で転換クロスシートを備えた「海峡」に乗り函館に向いました。
 この日は寒く北海道側に出ると雪がちらつき、日暮れの江差線を通っているときは最果てに来たとの感じを受けたものです。

(青森)
 


平成10年10月31日

 次に吾妻線に乗車しました。途中駅に留置されていた旧型客車です。

(羽根尾?)
 

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