ディーゼル機関車
昭和51年5月30日
米原の構内に廃止になったDD50が置かれていました。職員に頼んで、近くまで行き、写真を撮りました。横にも見えるとおり、何本か置かれていたようです。
(米原)
昭和61年1月
気動車を見送って次の列車を待っていると、客連がやって来ました。
(保津峡)
このとき、さすがに旧客は無かったようですが、まだ客車の運用は結構あったようです。
大手私鉄では、旧性能車が殆ど一線を退いていたような状況でしたが、都会の近くでこのような情景が見られていたとは、やはり国鉄の近代化は遅れていたのですね。
(保津峡)
普段利用している人には、エアコンは無く、時間もかかり大変でしょうが、趣味的にはこの光景はたまりませんね。
(保津峡)
昭和61年8月16日
最終日の3日目です。
この日はまず、境線にに乗り、あとは山陰線の鈍行で京都まで戻る旅です。
米子で見掛けた「出雲」です。
(米子)
途中、5分、10分の停車は当たり前で、鳥取では40分程度の停車があり、下車して駅前に弁当を買いに行くこともできました。写真も撮り放題です。
すれ違う列車も客車は雑客だったように思います。ハユニを連結した車両も見かけましたが、その車両だけ異常に混んでいたのが印象的でした。
平成30年2月
鹿児島線、日豊線が分岐する西小倉です。
列車の本数やスピード、光線の具合などビデオを撮るには良いところです。
ただ、静止画はこの1枚だけです。
(西小倉)
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