ちょっとむかしの電車のアルバム(451系)

451・453・455・457・471・473・475系

昭和50年7月

 優等列車の主軸は既に特急に移行していましたが、このようにヘッドマークまでつけた急行がまだ走っていました。
 当時の様子を調べてみると、グリーン車2両とビュッフェ車を組み込んだ12連のすごい編成で大阪〜富山間(定期運転区間)を1日3往復していたようです。

(大阪)


昭和51年5月30日

 たまたま見かけた急行「くずりゅう」です。急行もまだまだ賑わいが見られたいました。

(米原)


昭和54年9月頃

 まだ急行「立山」も健在でした。写真をクリックして拡大してもらうと分かりますが、後ろから4両目のグリーン車には、まだ帯があります。

(大阪)
 


昭和61年8月1日

 敦賀で湖西線から乗ってきた気動車から福井に向かう電車に乗り換えたと思います。
 ここで見かけた赤地にクリーム帯のいわゆる「旧北陸色」です。581系から改造された419系もこの塗装でしたが、数年ほでホワイト地にブルー帯の塗装に変っています。

(敦賀)
 
 1985年の「くずりゅう」運転終了により、北陸線における昼行の急行は既に無くなっており、471系などは急行運用を外れていました。これによって塗色も上のように順次変っていましたが、急行塗装もまだ残っていました。

(福井)
 
 方向幕が埋められてしまっているのが残念です。
 この福井駅も2005に高架化され、様子が大きく変っています。

(福井)
 


昭和62年8月13日〜16日

 同じく常磐線の途中駅で撮った写真です。
 当時、常磐線沿線には、日立電鉄や茨城交通、鹿島鉄道など多くの魅力的な私鉄があったのにそれらに目をくれることも無く、ひたすら仙台を目指したのが悔やまれます。


 
 まずは交流電化発祥の仙山線に乗りました。
 特に何かある訳でもなかったと思いますが、途中の愛子で一旦下車しました。

(愛子)
 
 愛子から山形まで乗り通し、再び仙山線の山寺まで戻りました。

(山形)
 
 仙山線で山寺へ戻ってから立石寺に行きました。非常に暑いなか、汗をかきながら登りましたが、上から見る山寺駅周辺は、正に模型を見るような光景でした。
 この後、再び山形に行き、バスで蔵王に向かいました。蔵王の下界の暑さを忘れさせてくれるような涼しさと、お釜の素晴らしさが印象に残っています。
 2箇所の観光の後、奥羽線で郡山に行きました。日は暮れていましたが、板谷峠のスイッチバックを50系客連で楽しみました。

(山寺)
 
 このとき既に「急行」は無く、急行型の車両はそのままローカルで運用されていました。特に快速には、それら車両が使われていたようです。

(会津若松)
 

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