ちょっとむかしの電車のアルバム(111系)

111・113・115系

昭和56年8月

 何故か珍しくもない113系の写真を撮りました。(スカ色は新鮮でしたが・・)

(品川)
 


昭和61年8月14日・16日

 岡山で友人に追いつき、平謝りでしたが、写真はちゃっかり撮っています。

(岡山)
 
 スカ色の115系も見かけました。

(米子)
 


昭和61年8月23日

 吉備線乗車後は倉敷−新見間未乗の伯備線に乗るべく、総社から倉敷に向かいましたが、時間の都合で倉敷−清音の1区間を残して清音で降り返し、新見まで乗車しました。
 写真は新見駅ですが、「弁当・お茶・土産物」の看板が昭和っぽいですね。

(新見)
 


昭和62年8月16日

 新津に着きました。新潟色の115系です。

(新津)
 


昭和63年3月

 瀬戸大橋の開通は4月10日でしたが、児島で開催された瀬戸大橋博の旅客輸送のため茶屋町〜児島間が3月20日に先行開業していました。
 写真は茶屋町か児島と思います。列車には瀬戸大橋博のヘッドマークが付いています。


昭和63年4月

 左はJR四国の111系です。JR四国では、瀬戸大橋線の開通に際し、非冷房の若番の111系を導入していました。

(岡山)
 


平成2年春?

 快速は113系が用いられていました。

(山崎)
 
 私鉄のような集約分散式のクーラーを搭載した初期の113系も活躍していました。

(山崎)
 
 このとき昼間の時間帯、快速は高槻−京都間は各停になり、普通は高槻以西の運転になっていたため、複々線の内側線を走るのはこの113系だけでした。

(山崎)
 


平成3年春

 同じく奈良線の普通です。105系が主体でしたが、113系も運用に入っていました。以前は春日塗りの車両が走っていましたが、この頃は湘南色になっていたように思います。

(奈良)
 
 上の写真とは別の日と思います。
 この頃、奈良線は改良が進み、殆どの駅で交換が可能になりました。
 写真の黄檗駅もその1つで、右に京阪宇治線が走っている限られたスペースでの工事でした。他に東福寺も同様に厳しいスペースのなか、交換可能駅になっています。

(黄檗)
 


平成3年春(2)

 改札を出て近くの踏切で撮った写真と思います。
 当初福知山線は黄色に青帯の113系でしたが、この頃は、写真のような塗装になっていたようです。

(三田?)
 


平成3年春

 水間鉄道訪問とは別の日と思います。JR奈良線京都駅でのスナップです。
 この年3月に奈良線に登場した快速の117系と普通です。登場時の快速の停車駅は宇治・木津だけでした。
 普通は113系が写っていますが、主に105系が活躍していました。

(京都)
 


平成3年6月27日

 113系に組み込まれていた2階建てグリーン車(サロ124)です。
 この日の写真はこれで終わりで、翌日まで非鉄でした。

(東京)
 
平成3年6月29日

 房総半島観光後、館山に1泊し、翌日は東京近郊の鉄道に乗るべく、友人と共に内房線で千葉に向かいました。

(千葉?)
 


平成3年8月23日

 岡山で見かけた115系の3000番台です。車内は117系のように2扉転換クロスです。山陽路でしか見れないものなので、写真を撮りました。

(岡山)
 
 ついでに珍しくない115系のオリジナルの写真も撮りました。

(岡山)
 


平成10年10月31日

 吾妻線は終点の大前まで乗車しました。特徴が無い駅でした。

(大前)
 


平成17年2月20日(日)

 熱海で撮った115系です。以前は全国(直流区間)どこへ行っても見られた色ですが、いつの間にか希少色になりかけています。湘南色の生まれ故郷で1枚撮りました。
 この後、普通で三島へ向かいました。

(熱海)
 


平成21年8月22日(木)

 児島で琴平行きの115系に乗車しました。
 行き先表示はLEDになってしまっていますが、前面窓ガラスが金属押さえでないため、オリジナルに近く感じます。

(児島)
 


平成22年2月27日

 同じポイントから撮った在来線です。湖西線からの113系ですが、こちらも大分数が減ってきました。

(京都)
 


令和5年8月28日(月)


 折角なので岡山の乗り換え時に115系を撮りに行きました。

(岡山)
 

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