昭和53月9月
歴史がある京都市電も他都市の例に漏れず、全廃の日が来ました。
廃止直前の日曜日と廃止の日(9/30)に撮影に出かけました。両日とも名残を惜しむ人で電車は最後の賑わいを見せていました。
今京都ではLRT設置の話も出ていますが、もし京都市電が残っておれば、どのように活用されていたのかと思います。
七条大橋を渡る市電です。後ろに見えるのは京阪電車(おそらく2000系)で、平面交差していました。市電はこの他、東山三条で京津線と、叡電前で京福電鉄と平面交差していました(廃止時)。
(七条大橋)
上と同じく七条大橋です。
(七条大橋)
七条大橋の東側です。市電の撮影は車が少ない午前がチャンスです。この写真を撮ったのは午前の早い時間でしたが、既に車が結構走り始めていました。
(七条大橋)
東山七条から七条大橋に向かって坂を下って行く1800系です。1800系は廃止後、南海(阪堺線)に譲渡されましたが、既に廃車になっています。
(博物館三十三間堂前)
東山七条です。正面に写っているのは智積院です。ここは撮影のポイントのようで、石段に座り込んでいるのは市電の写真を撮っている人達です。
(東山七条)
こちらは1900系です。全廃時まで残ったのは、1800系とこの1900系でした。1900系は廃止後、広島電鉄に譲渡され、京都市電時代の塗装で活躍いています。
(東山七条)
同じく東山七条です。バックは妙法院です。
(東山七条)
八坂神社前を走る市電です。あちこちで撮った写真をあらためて見ると、京都は山や緑に囲まれた「まち」だと感じます。
(祇園)
東山三条は京阪京津線との平面交差があり、両者を同時に写すべく下車しました。市電と交差している線路が京阪のものですが、タイミングが合わず、結局ねらった写真は撮れませんでした。
(東山三条)
東山通は三条から五条あたりにかけて混雑がひどく、市電は車にまみれて走っており、ここで写した写真はどれも車に邪魔されたものばかりでした。
(東山三条)
同じく東山三条です。
(東山三条)
場所ははっきり覚えていませんが、東大路通を走る市電です。バックは大文字山で、右に写っている建物はおそらく京大です。
今度は、叡電との平面交差の写真を撮ろうと下車しました。停留所の名はずばり「叡電前」です。
(叡電前)
ついでに写した叡電です。写真のとおりポール集電でした。
(元田中(叡電前))
待った甲斐があり、市電と叡電のツーショットを撮ることができました。
標準レンズしか持っていなかったため、両車とも小さくしか写っておらず、お示ししているものはかなりフレーミングしています。
(叡電前)
烏丸車庫に入り写真を撮らせてもらいました。
(烏丸車庫)
同上です。
(烏丸車庫)
烏丸車庫前です。出入庫の電車がたむろしています。
(烏丸車庫前)
ここからはおそらく廃止の日に撮った写真です。土曜日で登校日だったので、午後から友人と出かけました。
場所は詳しく覚えていませんが、北大路通であることは確かです。
上と同じ場所です。
烏丸車庫を出庫する「さようなら電車」です。電車は満員、外も多くの人がいます。
(烏丸車庫前)
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